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2019年 09月 03日 ( 1 )

 

築城400周年の明石城を歩く。 その7 <二ノ丸・東ノ丸>

「その6」の続きです。

「その5」で紹介した本丸東側虎口の「番ノ門」を出て、二ノ丸に向かいます。


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明石城は本丸と二ノ丸が土橋を挟んで同じ高さで並んでいます。

この構造を、学術的には「連郭式」と呼びますが、明石城の場合、三ノ丸1段下にありますから、「連郭梯郭混合式」という分類になります。

まあ、後世の学者さんが便宜上つくった分類で、往時の大名たちは知ったこっちゃない言葉ですが。


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明石城は西国諸藩に対する備えとして、元和4年(1618年)、江戸幕府2代将軍徳川秀忠小笠原忠真に命じて築かせた城です。

忠真の祖父は松平信康、つまり忠真は徳川家康の曾孫にあたる人物です。

秀忠は、忠真の舅にあたる本多忠政の指導を仰ぐことを命じ、また、普請費用として銀1000貫を与え、幕府から普請奉行を派遣するなど、築城を全面的に支えました。

それだけ、この明石城の築城を幕府が重要視していたことが窺えます。


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築城工事は急ピッチで進められ、元和5年(1619年)にほぼ完成しました。

この工事の速さは、一国一城令によって廃城となった近くの船上城、三木城、高砂城などの建築部材を解体再利用したためと言われます。

つまり、リサイクルの成果というわけですね。


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二の丸の広さは東西74m、南北60mあります。

その東側には、東西88m、南北69m東ノ丸が連なります。


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二ノ丸と東ノ丸をつなぐ「方ノ門」です。

喰違虎口となっています。


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東ノ丸側から見た方ノ門です。


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二ノ丸と東ノ丸の間は、低い石垣で仕切られています。

築城時は二ノ丸と東ノ丸をあわせて二ノ丸だったそうですが、のちに整備され、分割されたと考えられているそうです。


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東ノ丸の南側では、多くの人がベンチで景色を楽しみながら寛いでいました。


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東ノ丸からの南側眺望です。

下に見えるのが、「その2」で紹介した三ノ丸庭園

その向こうには、JR明石駅が見えます。


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西側を見ると、「その5」で登ってきた石段と、本丸南東の巽櫓が見えます。


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巽櫓をズーム。


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東ノ丸南東隅には、日の丸が掲げられていました。


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石垣で少し高くなっています。

どうやら、あそこも櫓台跡のようです。

登ってみましょう。


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長方形の石が敷かれていますが、その中に、礎石跡と思われる自然石があります。

縄張図を見ると、ここはかつて角櫓があったようです。


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南東を見ると、向こうに明石海峡大橋が見えます。


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東ノ丸東側に門跡が見えます。


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縄張図によると、ここは「真ノ門」とあります。


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真ノ門を出ると、喰違虎口となって「天ノ門」があります。

ここを出ると、城外に出てしまうのですが、まだ城の北側を歩いてないので、「その8」に続きます。




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by sakanoueno-kumo | 2019-09-03 23:58 | 兵庫の史跡・観光 | Comments(0)