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2019年 09月 04日 ( 1 )

 

築城400周年の明石城を歩く。 その8 <薬研濠・桜濠・北ノ丸>

「その7」の続きです。

東ノ丸の東側虎口の北側には薬研濠が広がります。


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上の写真は明石公園の外(東側)から見た薬研濠。

向こうに見える石垣は、東ノ丸の東側虎口の石垣です。


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こちらは、反対側(西側)から見た薬研濠です。

というよりに近いですね。

薬研濠といっても、何もここで薬の研究をしていたわけではありません。

濠の底が薬研(薬草をすりつぶす器具)のようにV字型に深く掘られていることから、そう呼ばれています。


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石垣がきれいなのは、平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災時の崩落し、その後、積み直されたためです。


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薬研濠の西の石段を降り、北ノ丸に向かいます。


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石段を降りると、東ノ丸北側の高石垣がそびえます。


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この高石垣も、阪神・淡路大震災で崩落し、積み直されています。


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北側には桜濠が広がります。

桜濠の北側が、かつての北ノ丸にあたります。


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このあたりは二ノ丸北側の高石垣。

東ノ丸の高石垣とつながっているので、どこからが二ノ丸下かという境界はありませんが。


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二ノ丸北西隅の石垣が一段高くなっているのがわかります。

あそのに、物見台的なものがあったのかもしれません。


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二ノ丸と本丸の間に石段があり、ここから二ノ丸、本丸に登れますが、おそらくこれは、往時からあった虎口ではないでしょう。


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そして、その西側が本丸下の石垣ですが、本丸北東の隅が、角を出さずに斜カットされています。

これは、この位置がちょうど城の鬼門にあたるからでしょう。


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鬼門とはもともと日本古代の陰陽道から生まれた考え方で、北東方向は鬼が出入りするとされ、万事に忌むべき方角とされました。

その対策として、古来、城や屋敷には、「鬼門除け」が施されます。

「鬼門除け」の方法は様々で、北東に不開門を設けたり、塀や石垣の北東部分を斜めに削ったり凹みを造ったりします。

これで、魔除けになると考えられていたんですね。


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本丸北側の桜濠は、東ノ丸や二ノ丸の北側より幅が広くなっています。


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本丸高石垣の下に、帯郭犬走りのような空間があるのですが、現在は立入禁止となっています。


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北ノ丸側の土塁です。


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明石城が元和5年(1619年)に小笠原忠真によって築かれたという話はこれまでの稿でも何度もふれてきましたが、城を完成させた忠真は寛永9年(1632年)に豊前小倉藩へと国替えになり、翌年に松平(戸田)康直が入城します。

その後は大久保氏、松平(藤井)氏、本多氏と城主がコロコロ代わりますが、天和2年(1682年)に越前国大野藩より松平直明が6万石にて入封してから、以後、10代185年に渡って松平(越前)氏が城を守り、明治7年(1874年)、最後の城主・松平直致の代に廃城令によって廃城となります。


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その後、城の保存を望む旧藩士たちが櫓の大部分を落札し、城の取り壊しを求める兵庫県との間で対立が起こったそうですが、明治14年(1881年)に神戸相生小学校(現在の湊小学校)の建築用材にあてるために本丸北東の艮櫓などが解体されましたが、旧藩士嘆願により、巽櫓坤櫓が保存されました。

明治16年(1883年)に城跡は明石町内の有志によって整備され私設公園となりますが、明治31年(1898年)に皇室の御料地として宮内庁所管となったため、公園は廃止されました。

しかし、大正7年(1918年)、兵庫県が御料地を借り受けて県立公園を開設し、さらに昭和の初めに城跡全域が払い下げられ、現在の明石公園となりました。


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西側から見た桜濠です。

桜濠は長さ百三十五間(243m)、幅二十三間(44.4m)あり、本丸、二の丸、東の丸の背後を守る重要な堀として、城時に人工的に拡張されました。


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見上げると、本丸北側の石垣が見えます。


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そして、北ノ丸北西には、剛ノ池(往時は鴻ノ池と呼ばれていた)が広がります。

もともとこの地にあった自然池で、築城の際にこれを利用し、外濠の役目を果たしていました。

今は明石公園内の観光スポットとして、春は花見、秋は紅葉狩りなどで賑わっています。

さて、これで明石城跡をすべて攻略しましたが、まだ紹介したいものがありますので、もう少しお付き合いください。

「その9」に続きます。




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by sakanoueno-kumo | 2019-09-04 23:29 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)