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2019年 09月 11日 ( 1 )

 

映画『アルキメデスの大戦』に見る、将軍たちは一つ前の戦争を戦う。

先日、映画『アルキメデスの大戦』を観てきました。

何の予備知識もなく観に行ったので、わたしはてっきり戦艦大和を題材にした史実ベースの戦争映画だと思っていたのですが、ぜんぜん違いましたね。

物語は戦艦大和建造のみにスポットを当てたヒューマンドラマとでもいいますか・・・。

少しはモデルとなった実話があるのかと思いましたが、まったくのフィクションだそうで。

原作漫画は読んでいませんが、映画としては、まあ面白かったと思います。


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物語は、巨大戦艦「大和」を建造しようとする海軍首脳部と、その建造は開戦につながるとして、それを阻止しようとする反対派との机上の戦いが主軸でした。

ここで、実際に戦艦大和の建造が必要だったかどうかを考えてみたいと思いますが、確かに、結果を知っている後世から見れば、すでに戦闘機が主流となっていた第二次世界大戦に、途方もない巨額予算を投じて時代遅れの巨大戦艦を造り、一瞬にして海の藻屑と消えた愚かな策に映りますが、当時の日本人に、果たしてそれがわかっていた人がどれだけいたでしょうか?


当時、日本は大正11年(1922年)のワシントン海軍軍縮条約以降、10年以上戦艦を造っていませんでした。

その後、昭和5年(1930年)に結ばれたロンドン海軍軍縮条約で、さらに主力艦建造停止が延長され、英・米・日の補助艦総保有量は10:10:7となりました。

この条約に不満を持った海軍将校たちが、あの五・一五事件を起こすのですが、とにかく、海軍としては軍備を強化したくてもできない時代が長く続いていたんです。

そこで、条約の期限が切れて建艦制限が失効した昭和12年(1937年)から大和の建造が始まるわけですが、なぜ戦艦に固執したかというと、やはり、そこには日露戦争の戦勝の経験があったのでしょうね。

日露戦争で日本は、当時、世界最強とうたわれたロシアのバルチック艦隊を、日本海で壊滅させました。

このときも、それをやろうとしていたんですね。

アメリカが日本に艦隊を送る場合、狭いパナマ運河を通る必要があり、そのためには、そこを通れないような大型の戦艦は造れない。

それを見越して、日本は46cmの主砲を擁した巨大戦艦を造ろうと考えた。

そしてアメリカが日本近海に来るのを待ち構えて叩こうとしたんです。

軍縮条約のため数で勝てない日本は、その性能で米・英を凌駕しようと考えたんですね。

その着想の原点は、やはり日露戦争の日本海戦にありました。


「将軍たちは一つ前の戦争を戦う」


という格言があります。

指揮をとる者は、どうしても前回の成功の経験をもとに戦略を立ててしまいがちで、それが今に合わなくなっていることに気づかない、という意味ですが、これは、軍人のみならず、人間、過去の成功を踏襲したいと思うのは普通のことだと思います。

それをしなかったのが織田信長でした。

彼は、桶狭間の戦い寡兵を率いて今川義元の大軍を破り、一躍、戦国の勢力争いに名乗りを上げましたが、以後の信長は、桶狭間のような奇策はいっさい用いず、必ず勝てる戦力を整えてからでないと戦を仕掛けませんでした。

普通なら、過去の成功を模倣して百戦そのやり方でいきそうなものですが、そこが信長の天才たる所以でしょうね。


しかし、信長のような天才は日本史上においてもです。

日本が日露戦争の戦勝に模倣したのは、当然の成り行きだったでしょう。

あるいは、映画における山本五十六のように、戦艦を無用の長物と考える先見性を持った人物がいたかもしれませんが、ほとんど声にならないほどの少数だったでしょうね。

実際の山本五十六が大和建造に反対していたかどうかもわかりません。

一説には、当時、航空本部長だった山本が、「これから海軍も空が大事で、大艦巨砲はいらなくなる」という発言をしたという話がありますが、これも、戦後の回顧談によるものだそうで、本当の話かどうかはわかりません。

大和建造は、避けられない歴史の必然だったんじゃないかと。


話を映画に戻して、菅田将暉くん演じる主人公の櫂直は、大和建造の不正を暴いて計画を中止させるべく奮闘するわけですが、しかし、最終的に大和が建造されることは歴史の事実としてわかっているわけで、そこにどう話を着地させるのかが物語の最大の焦点だったと思いますが、なるほど、そうきたか・・・と。

なかなか見事な落としどころでしたね。


ここからはネタバレになるので、映画を観ていない人は読むか否かは自己責任でお願いします。

大和の設計者である平山忠道(架空の人物)曰く、日本はアメリカと戦ったら確実に負けるとした上で、こう言います。


「戦争での負け方を知らない日本人は、最後の一人まで戦ってしまうだろう。その結果、国はつぶれる。この国を守るには、絶対に沈まないと信じさせた鉄壁の艦を目の前で沈ませ、国民を目覚めさせなければならない。この戦艦は、日本という国の“依り代”なのだよ。」


そして、そのためにふさわしい名「大和」なんだ、と。

みごとな落とし方ですね。

「依り代」を辞書で引くと、「神霊が依り憑く対象物。神霊は物に寄りついて示現されるという考えから、憑依物としての樹木・岩石・動物・御幣など」とあります。

戦争に負けても日本が沈まないために、日本の代わりに沈んでくれる、それが「大和」だと言うんですね。

大和が沈むことを知っている現代人目線だから言えることだ、という無粋な見方はやめましょう。

だって、所詮はフィクションなんだから。


ただ、実際の歴史では、大和は「依り代」にはなれませんでした。

戦艦大和が沈んだのは昭和20年(1945年)4月7日、日本がポツダム宣言を受諾したのが同年8月14日。

この4ヶ月間に、おびただしい数の国民が命を落としました。

もし、映画の平山忠道の言葉どおり大和沈没で日本が目を覚まし、そのすぐあとに戦争を終わらせていたら、どれだけの命が助かったか。

本土主要都市の空襲のほとんどがこの4ヶ月の間のことで、それも避けられた。

当然、広島、長崎の原爆投下もなかった。

ひめゆり学徒隊も死なずにすんだ。

広島城岡山城福山城和歌山城名古屋城仙台城大垣城首里城も、焼けなくてすんだ。

ソ連が参戦することもなく、のちの北方領土問題もなかった。

何より、この4ヶ月間だけで数十万人の国民が死んでおり、その命が助かっていたんです。

この4ヶ月間で日本が失ったものは計り知れません。

残念ながら大和は「依り代」にはなれませんでした。


ただ、大和は戦後も日本を象徴する存在ではありつづけました。

戦艦「武蔵」「金剛」は知らなくても、大和を知らないという人はいないんじゃないでしょうか。

大和を題材とした映画やドラマも数多く作られました。

なんせ、戦後30年足らずでイスカンダルまで行っちゃいますからね(笑)。

それだけ日本人は大和という艦が好きで、その理由は、片道の燃料だけを積んで海に沈んだという敗戦の無念さを象徴する艦だからということもあるでしょうが、やはり、いちばんは、「大和」という名称にあるように思います。

「武蔵」や「金剛」では、ここまで日本人は哀愁を感じなかったんじゃないかと。

やはり、映画のとおり、沈む艦としてはふさわしいネーミングだったといえるかもしれません。

その意味では、少しは「依り代」になったのかもしれませんね。



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by sakanoueno-kumo | 2019-09-11 00:23 | 映画・小説・漫画 | Trackback | Comments(0)