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2019年 09月 26日 ( 1 )

 

天誅組の足跡を訪ねて。 その5 「観心寺」

三日市の宿場を早朝に発った天誅組一行は、河内の観心寺に立ち寄りました。

観心寺には、彼ら勤王の志士たちの精神的支柱である楠木正成首塚や、第97代天皇にして南朝第2代天皇の後村上天皇陵があります。


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山門横の大楠公騎馬像です。


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観心寺の寺伝によると、大宝元年(702年)に役小角によって開かれ、当初は雲心寺と称したとされますが、天長4年(827年)に空海がこの地を訪れ、「観心寺」の寺号を与え、その一番弟子の実恵が実質的な開祖となった寺院です。


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国宝金堂です。


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そして、こちらが正成の首塚


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天誅組一行は、この首塚前に勢ぞろいして戦勝祈願をしたといいます。

結成当初は38人だった天誅組も、ここに詣でたときには100人を超えていました。

彼らが尊敬してやまない大楠公の首塚を前に、士気は大いに高まったといいます。


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首塚前の広場を挟んで向かい側には、「天誅組讃蹟碑」があります。


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石碑の高さが260cm、幅が115cm厚さ19cm、台石の高さが45cmというどデカい石碑です。


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文章は漢文なので、わたしでは読解できません。


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観心寺では、地元の吉年米蔵という人物が握飯草鞋を100人分準備して待っていました。

米蔵は、ここで帰ろうとしましたが、中山忠光が許さず次の千早村まで同行したそうです。

また、軍資金を調達に出ていた藤本鉄石が合流したのも、ここ観心寺でした。


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石碑と首塚の間の広場です。

100人ぐらい余裕で集えます。


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おそらく、このロケーションは天誅組の面々が目にした光景とさほど変わっていないでしょう。

ここで士気を高めた天誅組は、いよいよ大和国に向けて出発します。



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by sakanoueno-kumo | 2019-09-26 21:07 | 天誅組の足跡を訪ねて | Trackback | Comments(0)