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2019年 10月 03日 ( 1 )

 

天誅組の足跡を訪ねて。 その8 「五条代官所跡」

文久3年8月17日(1863年9月29日)に五條に入った天誅組は、五條代官所を襲撃します。

現在、代官所のあった場所は五條市役所になっています。


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庁舎前の噴水池付近小庭園に、「五條代官所跡」と刻まれた石碑説明板があります。


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午後4時頃、代官所を包囲した天誅組は、代官の鈴木正信(源内)に降伏を要求。

ゲベール銃隊を率いる池内蔵太が空砲で威嚇し、吉村寅太郎が率いる槍隊が裏門から突入しました。

突然の出来事に驚いた代官がこれを拒否するや、天誅組はすかさず武力で代官所を制圧。

代官所の人数は30人程で、意気軒昂な天誅組になす術もなく代官所方は敗北し、鈴木源内以下、5名が殺害されました。

その後、天誅組は代官所を焼き払います。


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なぜ天誅組が五條で旗揚げしたのかというと、天皇の行幸予定地である奈良に近かったことはもちろんですが、五條は幕府の直轄地であり、代官所の警備も手薄であったこと、古くから勤皇で知られた十津川郷が近く、いざというときには連携できるという思惑があったからでした。


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彼らがやったことは、どう考えても天誅とは言えず、単なるテロリズムでした。

妄信的尊皇攘夷を唱え、幕府の役人というだけで代官を殺害して首を晒し、やがて自滅していきます。

後世の二・二六事件における陸軍青年将校たちや、昭和の全学連のようなものだったでしょう。

天誅組をして「維新の魁」などと言う人がいますが、わたしは賛同できませんね。

ピュアなだけで大局観がなく、猪突猛進型青二才たちが起こした愚かしい事件と言わざるを得ません。




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by sakanoueno-kumo | 2019-10-03 01:38 | 天誅組の足跡を訪ねて | Trackback | Comments(0)