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2019年 10月 07日 ( 1 )

 

いだてん~東京オリムピック噺~ 第38話「長いお別れ」 ~東京オリンピック中止と第二次世界大戦~

e0158128_19143177.jpg 嘉納治五郎が命をかけて死守した昭和15年(1940年)の東京オリンピック開催でしたが、その嘉納が急逝すると、たちまちオリンピック開催反対論が息を吹き返します。日中戦争が激化するなか、昭和13年(1938年)4月に公布された国家総動員法によって、すべての物資が軍の統制下に置かれ、競技場並びに関連施設の建設がさらに難しい状況になります。また、諸外国からの日本に対する風当たりもますます強くなり、アメリカをはじめヨーロッパ各国から東京オリンピックボイコットの声が高まり始めました。こうなると、これまで東京開催を支持していたIOC会長ラトゥールも、ついに反対論に押され、日本に開催辞退を求めるようになります。これを受けて日本は、7月15日、正式に東京オリンピック中止を閣議決定し、翌日、組織委員会によって発表されました。嘉納の死からわずか2ヶ月後のことでした。


 「オリンピックの開催は、政治的な状況などの影響を受けるべきではない」


 嘉納が最後のIOC総会で訴えたオリンピック理念ですが、その理想は間違っていないにしても、それを実行するのは実質的には不可能で、それは、21世紀の現代でも変わっていません。国家規模で行われるイベントである以上、国はそれをガッツリ政治利用しようとします。百歩譲って平和親善のための政治利用はやむを得ないとしても、その逆は(たとえばボイコットとか)、やはりやるせないですね。何よりいちばん気の毒なのは、4年に一度の舞台にかけるアスリートたちです。


 その後、辞退した東京に代わってフィンランドヘルシンキ代替開催地となりますが、その翌年の昭和14年(1939年)9月3日、ドイツがポーランドに侵攻したことにより、イギリス、フランス両国が宣戦を布告。ここに第二次世界大戦が始まります。その煽りを受けて代替開催地のフィンランドにもソ連軍が侵攻する事態となり、結局、IOCは第12回オリンピック開催を断念します。欧米諸国もアジアも、世界中がスポーツどころじゃなくなっていました。


 そして国際的に孤立する日本は、東京オリンピックが開催されるはずだった昭和15年(1940年)、ドイツとの関係を強化するため、イタリアも加えた日独伊三国同盟を結びます。これにより、アメリカ、イギリスとの対立は決定的となり、翌年の対米戦開戦につながっていくんですね。それにしても、東京オリンピック招致のために立候補取り下げを談判したムッソリーニと、東京オリンピック招致を後押しした(とされる)ヒトラーとここに来て手を結ぶに至るとは、やはり、オリンピック招致運動は政治だということですね。


 ドラマでは第二次世界大戦はほとんど描かれないようで、一気に年月が過ぎていきました。まあ、物語の主題はオリンピックですから、それでいいんじゃないでしょうか。そして描かれたのは、昭和18年(1943年)10月の学徒出陣。戦局はいよいよ悪化し、その兵力不足を補うために在学中の高校生や大学生も徴兵されることになったわけですが、そのなかには、平時であればオリンピック代表選手になっていたであろう有名アスリートたちが多く含まれ、戦地へ送られました。そして、その出陣学徒壮行会が行われたのが、皮肉にも東京オリンピックが開催されるはずだった明治神宮外苑競技場だったんですね。ドラマの金栗四三の愛弟子・小松勝は架空の人物のようですが(たぶん、誰かモデルとなる人がいるのでしょうね)、彼のように、東京オリンピックに出るはずだった若者が、軍服を着てここを行進し、そして帰らぬ人となったケースがたくさんあったのでしょう。嘉納治五郎が平和の祭典を開催するために全精力を注いで建てた競技場が、一転してアスリートを死地に送り込む舞台となってしまった。これ以上の皮肉があるでしょうか。嘉納の無念極まりない嘆きが聞こえてきそうです。



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by sakanoueno-kumo | 2019-10-07 21:27 | いだてん~東京オリムピック噺~ | Trackback | Comments(0)