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2020年 01月 18日 ( 1 )

 

国宝・彦根城を歩く。 その8 <中堀~武家屋敷跡~京橋口>

「その7」のつづきです。

彦根城最北端の山崎曲輪の外側から、中堀に沿って歩きます。


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上の写真はその山崎曲輪の高石垣


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その西側には前稿で紹介した山崎御門の冠木門が見えます。


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中堀北側にあるマンションの3階から撮影しました。

向こうに西の丸三重櫓が見えます。


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ズーム。


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さらに中堀に沿って西に歩きます。

ここからも角度を変えた西の丸三重櫓が。


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中堀の内側の石垣の上は、かつて武家屋敷がありました。

現在は彦根市立西中学校となっています。


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その中学校から中堀を挟んで北側に、「日下部鳴鶴屋敷跡」と刻まれた石碑がありました。

日下部鳴鶴は幕末から明治にかけての書家で、「日本近代書道の父」と呼ばれる人です。

鳴鶴の書いた石碑の文字が現在も日本全国に300基以上残っているそうで、なかでも、あの大久保利通の墓所にある大久保公神道碑は鳴鶴の最高傑作といわれています。


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中堀北西の角に来ました。

ここから中堀は南に向かって90度曲がります。


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南に伸びる中堀です。


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中堀北西にある舟町口です。

舟町口は、南の京橋口、東の佐和口、北の長橋口とともに彦根城の4つの門のひとつです。

ここにも立派な櫓門があったであろう石垣があります。


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ここから中堀の内側を南に向かって歩きます。


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この辺一体も、往時は武家屋敷がありました。


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「家老岡本黄石屋敷跡」と刻まれた石碑があります。

「黄石」は号で、本名は岡本半介

幕末の彦根藩の家老で、尊皇攘夷派であったため、保守派の井伊直弼と対立して罷免されますが、直弼が桜田門外の変暗殺された後は、直弼時代の寵臣・長野主膳粛清するなど、政情の変化に対応して藩政を牽引しました。

しかし、徳川慶喜に過度に依存した結果、第二次征長戦争に出兵して大損害を蒙り、藩の評判をさらに失墜させ、最後は家老の座を追われます。


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東を見上げると、左に西の丸三重櫓が、右に天守が見えます。


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天守は修復工事中だったため、足場が。


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さらに南に下ります。

左側の堀は内堀です。


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このあたりの内堀は、前稿で紹介した南側の内堀と違って、腰巻石垣の上に土塁が築かれているだけで、鉢巻石垣はありません。


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前稿で紹介した大手門橋まで戻ってきました。


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そこから更に南下した場所にある、家老・脇屋屋敷跡です。


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その近くには、馬屋があります。

その名称のとおり、藩主の馬をつないでいた建物で、国の重要文化財となっています。


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そして、こちらは、中堀最南端の京橋口近くにある家老の旧西郷屋敷長屋門跡です。


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西郷家3500石の家老で、現在、彦根に残されている武家屋敷の中では最大の門です。


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その旧西郷屋敷長屋門跡をすぎると、大きな枡形虎口があります。


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その横には立派な雁木があります。

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ここは彦根城中堀南西の京橋口で、南の京橋口、東の佐和口、北の長橋口、西の舟町口とともに彦根城の4つの門のひとつですが、その中でも、大手門に向かうメインゲートでした。


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なので、中堀に面して高麗門があり、その内側を鉤の手に曲げて櫓門が築かれていました。


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その説明板です。


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京橋口に架かる木橋です。

この石垣の上に櫓門があり、門の上には二重櫓が乗り、その両側には多聞櫓が伸びていました。

門の形式としては最強の枡形虎口です。


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中堀の南側を歩きます。

石垣の下に犬走りがあります。


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南側の中堀。


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こちらは中堀南側に面した鈴木屋敷長屋門

このあたりは中級武士の屋敷があったゾーンで、この屋敷に住んでいた鈴木権十郎禄高350石大津蔵奉行を務めていた人物だったそうです。


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さて、ここを東に歩けば、「その1」で紹介した最初の南東の中堀に繋がります。

歩き始めたのが正午ごろで、現在17時半。

5時間以上もじっくり歩きました。

最後に日本100名城のスタンプを掲載します。


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これで彦根城をすべて制覇しましたが、あと1回だけ、番外編にお付き合いください。

「その9」につづきます。




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by sakanoueno-kumo | 2020-01-18 00:27 | 滋賀の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)