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2020年 01月 27日 ( 1 )

 

麒麟がくる 第2話「道三の罠」 ~加納口の戦いと土岐頼純の暗殺~

 第2話はガッツリ戦の回でしたね。『信長公記』によれば、この戦いを「加納口の戦い」といいますが、戦いの話の前に、まずはこの戦いに至る経緯を簡単に解説しましょう。


麒麟がくる 第2話「道三の罠」 ~加納口の戦いと土岐頼純の暗殺~_e0158128_19245940.jpg 美濃国守護の土岐氏では、長いあいだ土岐頼武頼芸の兄弟による家督争いが続いていました。この兄弟の確執は、二人の父である土岐政房が、嫡男である頼武より末弟の頼芸を偏愛して家督を継がせようとしたことがそもそもの始まりですが、政房の死後、いったんは家督を継いだ頼武でしたが、大永5年(1525年)に起きた内乱で頼芸が勝利し、頼武は妻の実家である越前国の朝倉氏を頼って落ち延びます。このとき頼芸をバックアップしたのが、斎藤利政(のちの道三)でした。


 その後、美濃国守護となった頼芸を道三が補佐して国を治めていくことになるのですが、その後、頼武の名前は史料に見られなくなるものの、嫡子の土岐頼純(もしくは頼充)が、天文4年(1535年)頃から朝倉氏、六角氏に支援されて美濃国に侵攻します。このあと両者は和睦となり、頼純は大桑城主として美濃に帰還を果たしますが、天文12年(1543年)に再び道三に攻められて敗走します。このとき頼純は越前国に亡命しますが、翌天文13年(1544年)9月、頼純は越前国の朝倉孝景と尾張国の織田信秀の支援を得て、再び美濃に向かって進撃しました。この頃には道三と頼芸の関係も不和となっていたようで、実質、道三が美濃国の支配者でした。そんな道三に対して、朝倉氏も織田氏も、「主君筋である土岐家を蔑ろにする美濃のマムシを討伐する」という大義名分が立ち、あわよくば、これを契機に美濃国を分捕ろうという思惑だったのでしょう。こうして起きたのが「加納口の戦い」です。


 『信長公記』によれば、織田信秀は9月3日に国中の兵を結集し、村々に火を放ちながら美濃へ侵攻。9月22日には道三の居城である稲葉山城の城下に入り、村々を焼き払いました。迎え討つ道三は早々に兵を引き、籠城の構えを見せます。籠城戦となると、稲葉山城は堅城であり、いたずらに城を攻めて兵を失うことを嫌った信秀は、夕方4時頃、いったん退却をはじめます。そして半分の兵が引き上げたところ、それを待っていたかのごとく稲葉山城から斎藤軍の軍勢が一気に押し寄せます。退却中だった織田軍はパニックとなり、大敗を喫しました。『信長公記』によると、織田軍は5000の戦死者を出したといい、その中には、弟の織田信康もいました。連れションの途中に討死したとは記されていませんが。


 「城に帰って寝るか!」


 ドラマの信秀のあの割り切り、いいですね。さすがは織田信長の父親です。道三の家老である長井九兵衛の書状によると、信秀は6、7人を連れただけで逃げ帰ったといいます。


 この「加納口の戦い」は天文13年(1544年)説天文16年(1547年)説があり、『定光寺年代記』は天文13年としており、『甫庵信長記』『享禄以来年代記』は天文16年説、『信長公記』に至っては年代が記されていません。上述した解説では天文13年説をベースに解説しましたが、ドラマでは、頼純と帰蝶が結婚している設定であることから、天文16年説を採っているようです。


麒麟がくる 第2話「道三の罠」 ~加納口の戦いと土岐頼純の暗殺~_e0158128_20252945.jpg その頼純ですが、天文15年(1546年)秋に頼芸・道三との間で和議が成立し、再び大桑城へ入城したといいます。その際、和議の条件として、頼芸の隠退と頼純の美濃守護職就任があったといいますが、たしかな史料はありません。次期守護職就任の約束を交わしただけで、実際に守護職に就くことはなかったとみる歴史家さんもいますが、ドラマでは、道三との会談で「守護の座に押し上げた」という台詞がありましたから、この時点で守護職に就いている設定だったようですね。また、このときの和議の証として、道三の娘が頼純に輿入れしたとされています。この娘というのが、のちに織田信長の正妻となる帰蝶(濃姫)ではないかという説があり、ドラマでもその説を採っていますが、これも、たしかな史料は存在しません。


 かくして美濃国守護となった頼純ですが、その1年後の天文16年(1547年)11月17日、頼純は突然、謎の死を遂げます。享年24。これもたしかな史料はないものの、おそらくは道三の手にかかって殺害されたのであろうと考えられています。ドラマでは、道三自らが点てたお茶に毒を盛っていましたね。あれって、伊右衛門?(笑) サントリーから抗議されるんじゃないですか?(笑)


 この時代の土岐氏っていうのは、史料が乏しくわからないことが多いんですよね。道三と頼芸に追放された頼武も、その後どうなったかはっきりしないし、頼芸も、道三といつまで蜜月な関係だったのか、道三にいつ追放されたのか、史料によって様々です。頼純に至っては、その名前すら色々あって定かではありません。土岐氏自体が、歴史のなかで、なんかフワッとした存在なんですよね。次週はようやく頼芸が出てくるようです。道三との絡み、楽しみですね。



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by sakanoueno-kumo | 2020-01-27 20:29 | 麒麟がくる | Trackback | Comments(0)