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2020年 01月 30日 ( 1 )

 

天下布武の象徴、安土城攻城記。 その4 <伝徳川家康邸跡~大手道~七曲り>

「その3」の続きです。

大手道にもどります。


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ようやく太陽が照ってきたので、もう一度大手道石段の写真です。


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前稿で紹介した「伝羽柴秀吉邸址」上の段の虎口から大手道を挟んで斜め向かい側(東側)に、現在の摠見寺仮本堂があるのですが、観光パンフレットの説明によると、ここは「伝徳川家康邸址」となっています。

いやいやいやいや、それはいくらなんでも、ないっしょ!

徳川家康織田信長の家臣だったように思っている人もいるかもしれませんが、あくまで同盟関係であって主従関係ではありません。

まあ、同盟関係といってもパワーバランスが歴然とした関係ではありましたが。

いわば現在の日本とアメリカのようなもので・・・。

どちらが日本でどちらがアメリカかは、あえて言いませんが。


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この日は摠見寺の公開日ではなかったので、境内の写真は門扉からのみ。

パンフレットによると、元の摠見寺はこの少し西にありましたが、嘉永7年(1864年)の火災焼失し、その後、昭和7年(1832年)にここ伝徳川家康邸址に建てられて現在に至るそうです。

でも、しつこいようですが、家康と信長は主従関係ではなく、本能寺の変の直前に初めて安土城に招かれ、その饗応役だった明智光秀の料理に怒った信長が光秀を足蹴にしたため、それが本能寺の変の引き金なった(かもしれない)という逸話は有名ですよね。

そんな家康の邸がここにあったはずがありません。

「その2」「その3」の前田利家羽柴秀吉の邸跡も眉唾ものですが、さすがに家康は無理がありすぎるんじゃないでしょうか。

どうせなら、いわゆる織田四天王と言われた柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、明智光秀の邸跡と言われたほうが、まだ想像できたかもしれません。


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さて、気を取り直して大手道を進みます。

約180mの直線の石段を登りきると、大手道は左カーブになっています。


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そのあとも、道はジグザグに屈曲しながら続いています。


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後ろを振り返ると、麓に田畑が広がっています。

往時は、あそこは琵琶湖の入江でした。


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「右、天守、本丸跡」と刻まれた石碑が。


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ジグザグの石段に、何かの説明板が埋まっています。


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どうやら石仏の転用石のようです。


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その説明板。


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わかりづらいですが、たしかに石仏のようです。

銘板の横には賽銭入れのサントリーウイスキーの灰皿が。

まったく同じ灰皿が、昔、我が家にもありました(笑)。

たしか、学生時代、どこかの喫茶店から拝借してきた思い出が・・・。

もう時効ですよね(苦笑)?


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石仏の転用石は、他にも各所で見られました。

墓石石仏地蔵などを石垣に転用している例は他の城郭でもよく見られることで、珍しいことではありません。

ただ、石垣ではなく石段に転用するというのは、あまり気持ちのいいものではなかったのではないでしょうか?

足で踏むわけですからね。


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ジグザグの石段はさらに続きます。

縄張り図によると、このあたりの石段を七曲りと呼んでいるようです。

本当に7回曲がったかは数えていません。


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このあたりは山腹部分で、傾斜が最も急なところです。


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まだまだ登城道は続きますが、今回はこのあたりで。

「その5」に続きます。




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by sakanoueno-kumo | 2020-01-30 23:28 | 滋賀の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)