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2020年 02月 27日 ( 1 )

 

近江坂本城跡を歩く。 その4 <明智塚>

「その3」のつづきです。

坂本城二ノ丸の一角に、「明智塚」と書かれた駒札を見つけました。


近江坂本城跡を歩く。 その4 <明智塚>_e0158128_18584337.jpg


明智光秀首塚は京都の粟田口に、胴塚は京都の小栗栖にそれぞれ伝わっていますが、この明智塚はどういう由来だろうと思って説明文を読んでみると・・・。


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なるほど、「光秀の脇差名刀の郷義弘並宝器物を埋めた」とあります。

それなら理解できますね。


近江坂本城跡を歩く。 その4 <明智塚>_e0158128_18584910.jpg


あとから調べてみると、この塚にはいろんな伝承が残っているようです。

駒札の説明文にあったように、坂本城落城の際、明智左馬助秀満が光秀の愛刀「郷義弘」の脇差をここに埋めた、とか、坂本城築城の際、光秀が本家の美濃国守護土岐氏から伝領した宝刀を城の主柱の下に埋めた跡である、とか、坂本城落城で壮絶な最期を遂げた明智左馬助秀満の首を埋めた、とか、諸説あるようです。


近江坂本城跡を歩く。 その4 <明智塚>_e0158128_18585170.jpg


左馬助は安土城で光秀の死を知ると、急いで坂本城に向けて出陣しますが、大津で堀秀政軍に行く手を阻まれると、左馬助は大胆にも、打出浜から馬に騎乗したまま琵琶湖に入り、唐崎(あるいは柳が崎)に上陸して坂本城に入ったといいます。

有名な「明智左馬介の湖水渡り」の逸話ですね。

その後、左馬助はしばらく防戦を続けますが、城が完全に包囲されたことを知ると、天正10年6月14日(1582年7月4日)夜、光秀の妻子を刺し殺し、つづいて自分の妻も刺殺し、腹を十字にかっさばいて、火薬に火を付けて城もろとも自害したといいます(『川角太閤記』)。


近江坂本城跡を歩く。 その4 <明智塚>_e0158128_18585574.jpg


この塚は、地元では「さわると祟られる」との言い伝えがあり、壊されず地元の人の手によって丁重に守られてきました。

ここに左馬助が眠っているかどうかはわかりませんが、坂本城落城時の明智方の誰かが眠っているというのは、十分に考えられることでしょう。

夏草や 兵どもが 夢の跡。

合掌。




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by sakanoueno-kumo | 2020-02-27 19:48 | 滋賀の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)