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カテゴリ:神戸の史跡・観光( 35 )

 

明治政府初の外交問題となった神戸事件。 その2 「滝善三郎正信碑」

「その1」の続きです。

神戸事件の起きた三宮神社から3kmほど南西にある能福寺に、神戸事件の責任を負って切腹した滝善三郎正信顕彰碑があります。

ここ能福寺は、日本三大大仏の兵庫大仏や、平清盛廟がある寺院として知られています。


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そのお寺の境内の一角にひっそりと建てられているのが、滝善三郎正信碑です。


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慶応4年1月11日(1868年2月4日)に起きた神戸事件の責任を問われて切腹を申し付けられた滝は、2月9日夜、このすぐ近くにあった永福寺で、内外検証人の面前で行なわれました。

日本政府側からは伊藤博文、中島信行が立ち合い、列強諸国側は米英仏蘭伊普の士官、公使館書記7名が列席しました。

英国外交官アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』には、このときの様子が次のように記されています。


滝は仏壇の前の赤い毛氈の上に座ったが、きわめて平静で前方へ倒れ伏すのに都合の良い位置を選んだ。

白木の台に乗せられた短刀を受け取るや滝は、やや乱れた声ではあったが、「二月四日神戸で、逃げんとする外国人に対し不法にも発砲を命じた者はこの自分にほかならぬ、この罪によって、自分は切腹すると述べ、この場の皆様にそれを見届けてもらいたい」と述べ、できるだけ深く刺して右のわき腹までぐいと引いた。


また、同じく英国外交官アルジャーノン・ミットフォードも、このときの切腹の模様を詳細に記録しています。


善三郎は裃を帯あたりまで脱ぎ下げ、上半身を露にした。

そしてその袖を注意深くひざ膝の下へ入れて後ろへ倒れないようにした。武士は切腹のあとに前に倒れて死ぬものとされていたからである。

善三郎はしっかりとした手つきで前におかれた短刀を取り上げると、いとおしいかのように眺め、しばらくの間、考えを集中しているように見えた。

そして善三郎は、その短刀で左の腹下を深く突き刺し、次いでゆっくりと右側へ引き、そこで刃の向きをかえてやや上方へ切り上げた。

この凄まじい苦痛に満ちた動作のなか、彼は顔の筋ひとつも動かさなかった。

短刀を引き抜いた善三郎は前方に体を傾け、首を差し出した。

そのとき、初めて苦痛の表情が彼の顔を横切った。

だが、声はなかった。

その瞬間、それまで善三郎そのそばにうずくまって事の次第をもらさず見つめていた介錯が立ち上がり、一瞬、空中で剣を構えた。

一閃、重々しくあたりの空気を引き裂くような音、どうとばかりに倒れる物体。

太刀の一撃で、たちまち胴体は切り離れた。

堂内寂として声なく、ただわれわれの目前にあるもはや生命を失った肉塊から、どくどくと流れ出る血潮の恐ろしげな音が聞こえるだけであった。

介錯は低く一礼し、あらかじめ用意された白紙で刀をぬぐい、切腹の座から引き下がった。血に塗られた短刀は証拠として、おごそかに持ち去られた。

政府の検視役の二人は席を立ち、外国人検視役のところへ近づき滝善三郎の処分が滞りなく遂行されたことを申し述べた。

儀式は終わり、我々は寺を後にした。


この当時は「切腹」と言っても短刀を腹に当てた時点で介錯が首を落とすとか、短刀に代わりに扇子を使う「扇腹」(おうぎばら)などが一般的だったのだがそうですが(幕末期は本来の作法通りも少なくはなかった)、ミットフォードによると、滝善三郎の切腹は古来よりの作法に則ったかたちだったことがわかります。

外国人の前で、日本人の侍スピリッツを見せつけたのかもしれません。


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このミットフォードが本国に伝えた切腹の様子を、イギリスの新聞『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』が銅版画付きで報じたことにより、世界的にセンセーションを巻き起こし、「ハラキリ」という言葉が西洋でも広まることになります。


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前稿で紹介したとおり、滝の行為は行列の前を横切った外国人を制止するためのもので、これは、当時の武士として当然の行為でした。

しかし、明治新政府政権は諸国列強に押し切られるかたちで、滝善三郎1人の命を代償として問題を解決させたわけです。

幕末、倒幕派のスローガン「尊皇攘夷」でしたが、明治新政府はその公約である「攘夷」政策を、この事件の対処によって放棄したことになります。

その意味でも、神戸事件は歴史上大きな転換となった出来事といえるでしょうか。

その犠牲となった滝は浮かばれませんが、もし、この事件がなければ、滝善三郎正信という人物の名が後世に残ることはおそらくなかったでしょう。

そう思えば、滝は割り切れない思いはあるにせよ、武士の一分がたったといえるかもしれません。


辞世

きのふみし 夢は今更引かへて 神戸が宇良に 名をやあげなむ


滝の切腹から6日後、堺において土佐藩士がフランス水兵と衝突する堺事件が起きることになります。

次回、その堺事件を追います。




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by sakanoueno-kumo | 2019-12-12 01:30 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

明治政府初の外交問題となった神戸事件。 その1 「三宮神社」

神戸市中央区のド中心部にあたる大丸神戸店前に、三宮神社という小さな神社があります。

幕末、ここで大きな国際事件が起きました。

慶応4年1月11日(1868年2月4日)、ここ三宮神社前で備前岡山藩兵外国人水兵が衝突し、負傷させた事件です。

この事件は明治政府初の外交問題となり、後世に「神戸事件」とよばれます。


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京都では鳥羽伏見の戦いが開戦した慶応4年1月3日(1868年1月27日)、明治新政府は兵庫開港に際して、備前岡山藩に摂津西宮の警備を命じます。

これを受けた備前岡山藩は、家老の池田伊勢、同じく家老の日置帯刀2000の兵を率いて1月5日に出立、兵庫に向かいました。


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1月11日昼過ぎ、藩兵の隊列が西国街道を三宮神社近くに差し掛かったとき、近くの建物から出てきたフランス人水兵2人が、行列の前を横切ろうとしました。

これは当時の武士たちにすれば、武家諸法度に定められた「供割」(ともわり)と呼ばれる非常に無礼な行為で、これを見た第3砲兵隊長の滝善三郎正信が槍を持って制止に入ります。

しかし、言葉が通じず、フランス人水兵が強引に横切ろうとしたため、やむなく手にしていた槍で突きかかり、腰に軽傷を負わせます。

負傷した水兵は逃げ出しますが、別の水兵たちが拳銃を取り出したため、それを見た滝が「鉄砲、鉄砲」と叫んだのを発砲命令と受け取った藩兵が発砲し、銃撃戦となります。


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現場に居合わせたイギリス公使ハリー・パークスは激怒し、折しも兵庫開港を祝って集結していた各国艦船に緊急事態を通達。

アメリカ海兵隊、イギリスの警備隊、フランスの水兵が備前藩兵を居留地外に追撃し、生田川の河原で撃ち合いとなりました。

備前側では、家老の日置が藩兵隊に射撃中止、撤退を命令し、お互いに死者も無く負傷者もほとんどなく終わりました。


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しかし、列強諸国は事件を重く見、6ヵ国の公使連名で政府に発砲を命じた士官の死罪を求めます。

これを受けて政府は2月2日、砲兵隊長・滝善三郎の死罪、隊の責任者である日置帯刀の謹慎を命じました。

本来であれば、日置が責任を取るべき立場であったのかもしれませんが、一説には、藩が日置を失うことを惜しみ、滝に因果を含めたともいわれます。

また藩主の池田茂政が滝に対し、「馬前の討死に勝る忠臣」と称え、「国家のため、藩のため、帯刀のために頼む」と声をかけたともいわれます。

現代の企業でもよくある話ですね。

いわゆる「トカゲの尻尾切り」ってやつです。

ただ、この時代のそれは、命を差し出すことですから、たまったもんじゃありません。


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神社の境内には、事件当時、備前岡山藩兵が率いていた大砲と同じ型のものが展示されています。


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事件から1ヶ月足らずの2月9日、永福寺において列強外交官列席のもと、滝は切腹して果てました。

享年32。

「その2」では、滝の最期を追います。




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by sakanoueno-kumo | 2019-12-11 01:31 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

神戸の古墳めぐり その5 ~大歳山遺跡公園・舞子古墳群~

明石海峡を望む神戸市垂水区西舞子の標高30mの丘陵地に、大歳山遺跡公園があります。

ここは、「明石原人」の発見者として著名な考古学者の故・直良信夫博士によって、大正末年から昭和初期にかけて発掘調査された遺跡です。

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この丘陵地に、「大歳山2号墳」と名付けられた全長37m前方後円墳があります。

調査によると、古墳時代後期(6世紀頃)に造られたと考えられているそうで、古墳の上や周辺からは、須恵器の坏、高坏、瓷などが出土しているそうです。
向こうに見えるのは、明石海峡大橋です。

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「2号墳」というくらいですから、当然、「1号墳」も存在したようですが、いまは住宅開発に埋もれてしまい、詳細は不明です。

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この周辺からは、縄文時代弥生時代土器などがたくさん発掘され、近畿地方で有数の遺跡として知られていましたが、昭和40年代の宅地造成により、消滅の危機に瀕しました。

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しかし、遺跡を守ろうとする多くの人々の努力もあって、弥生時代後期の集落と「大歳山2号墳」を含む遺跡の中心部、約8,000㎡を神戸市が買い取り、昭和49年(1974年)に遺跡公園として開園しました。

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公園内には、発掘調査で出土した竪穴式住居が復元されています。

「大歳山2号墳」の後円上から望む明石海峡大橋です。

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このような見晴らしのいい丘陵地に葬られた人物ですから、さぞかし身分の高い人だったのでしょう。

まさか、ここに世界一の吊橋が出来るなんて、古代人もビックリでしょうね。

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ここから1kmほど東に舞子墓苑という墓地があるのですが、そこにも、舞子古墳群と称される10数基の古墳が点在しています。

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かつては100基前後の古墳が存在したのだとか。

1500年近く経ったいまでも、墓地は墓地なんですね。

いにしえの歴史を感じます。

神戸の古墳は他にもまだあります。

気が向いたときに、また続きやります。



神戸の古墳めぐり その1 ~五色塚古墳と小壺古墳~
神戸の古墳めぐり その2 ~吉田王塚古墳~
神戸の古墳めぐり その3 ~狩口台きつね塚古墳~
神戸の古墳めぐり その4 ~処女塚古墳・西求女塚古墳・東求女塚古墳~


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by sakanoueno-kumo | 2016-04-08 11:14 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)  

神戸の古墳めぐり その4 ~処女塚古墳・西求女塚古墳・東求女塚古墳~

神戸市東灘区御影町に、処女塚(おとめづか)古墳という全長約70m前方後方墳があるのですが、その処女塚を中心に東西約2kmの位置に、東求女塚西求女塚と呼ばれる古墳があります。

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その名称から連想されるように、この3つの古墳には、男女の三角関係の悲恋話が古くから伝わります。

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太古の昔、現在の神戸市東部から芦屋市にかけて、大阪湾沿岸の湿地に茂る芦を屋根にふいて葦屋(あしのや)と呼ばれていたそうですが、伝承によれば、その葦屋に菟原処女(うないおとめ)という可憐な娘がいて、多くの若者が思いを寄せていたといいます。

なかでも、同じ里に住む菟原壮士(うないおとこ)と、和泉国から来た茅渟壮士(ちぬおとこ)という二人の男が彼女を深く愛し、激しく争うことになりました。

これに心を傷めた処女は身を処しかね、嘆きつつ自ら命を絶ってしまいます。

処女の死を知った壮士たちは深く悲しみ、二人とも後を追いました。

親族たちは、このことを長く語り継ごうと、処女の墓を中央に、壮士たちの墓を両側に作ったと伝えられます。

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この『菟原処女の伝説』は、古くは『万葉集』にも歌が残されており、奈良時代から語り継がれてきたそうです。

しかし、発掘調査によると、実際には築造時期がそれぞれ異なっているそうで、事実とは考えられないようですね。

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処女塚古墳には、もうひとつの伝承があります。

建武3年(1336年)に起きた「湊川の戦い」で、敗れた新田義貞が敗走の途中この地に立ち寄り、処女塚に登って敵を防いだといいます。

このとき義貞に従っていた小山田高家という武将は、自身の馬に義貞を乗せて逃し、身代わりとなって討死したと伝わります。

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処女塚古墳の片隅には、弘化3年(1846年)に建てられたと伝わる小山田高家の石碑があります。

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上の写真は、東求女塚古墳

『菟原処女の伝説』で言うところの茅渟壮士の墓です。

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現在は公園になっていて、塚の原型は留めず石碑だけが建てられています。

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そして、こちらは西求女塚古墳

『菟原処女の伝説』で言うところの菟原壮士の墓です。

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こちらも公園となっているのですが、こっちの方は、全長約95m前方後方墳の形が復元されています。

発掘調査によると、卑弥呼の鏡と言われる三角縁神獣鏡をはじめ、たくさんの埋葬品が出土したそうで、ヤマト朝廷と深く関わりを持った豪族の墓と考えられているそうです。

築造時期は3世紀後半で、神戸市内では最も古い古墳だそうです。

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(『摂津名所図会』より。生田川に浮かぶ水鳥を射んとする2人の男と見守る菟原処女)

いまは、ビルなどの建物に隠れてそれぞれの古墳は見渡せませんが、当時は、きっと処女塚を中心に東西に古墳が見渡せて、こんな伝承が生まれたのでしょう。



神戸の古墳めぐり その1 ~五色塚古墳と小壺古墳~
神戸の古墳めぐり その2 ~吉田王塚古墳~
神戸の古墳めぐり その3 ~狩口台きつね塚古墳~
神戸の古墳めぐり その5 ~大歳山遺跡公園・舞子古墳群~

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by sakanoueno-kumo | 2016-04-06 21:45 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

桜に彩られた大楠公像と、鞍上を失った騎馬像。

昨日から4月、ですね。

今日の神戸は初夏のような暖かさで、2~3日前から一気にの木がピンクに染まり始めました。

まだ七分咲きといったところですが、今日は天気が良かったのと、明日からはしばらく忙しくて桜を観る余裕がなさそうということもあり、カメラを持って桜見物です。

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今日訪れたのは、神戸市兵庫区にある湊川公園

ここには、巨大な楠木正成銅像があります。

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というのも、いまから700年近く前の建武3年(1336年)5月25日に起きた「湊川の戦い」において、楠木正成軍と足利尊氏の弟・足利直義の軍が激突したのが、ちょうどこのあたりだったといいます。

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楠木正成というと、戦前の皇国史観における忠臣の象徴のようなイメージの人物ですが、神戸では、この近くにある正成を祀った湊川神社も含めて「楠公さん」と親しみを込めて呼ばれています。

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桜に立ち向かう楠公さん。

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桜を飛び越える楠公さん(笑)。

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青空にピンクがよく映えます。

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公園内には、馬の銅像があるのですが、実はこの馬の像、以前は聖徳太子が乗っていたのですが、平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災で太子が落馬し、いまは馬だけになっています。

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なぜ神戸に聖徳太子像かというと、太子が法隆寺を建立した際、このあたり一帯も法隆寺の寺領だったそうで、明治以降の学校教育で聖徳太子の人気が高まると、神戸でも太子信仰が広まったからだそうです。

で、大正10年(1921年)にこの地に像が建てられたそうですが、70余年後に落馬、胴が真っ二つになったそうです。

隣の大楠公像の馬と違って、こちらの馬は、なんか寂しそう・・・。

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現在、休日を利用して『太平記』ゆかりの地の史跡めぐりをしており、その関連もあってここを訪れました。

そのうちシリーズをレポートしたいと思っています。

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たぶん、明日か明後日には満開でしょうね。

この感じでは、入学式の頃には散っちゃってそうですね。

新入学生を持つ親御さんにはお気の毒なことです。



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by sakanoueno-kumo | 2016-04-02 19:20 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)  

神戸の古墳めぐり その3 ~狩口台きつね塚古墳~

明石海峡を間近に望む小高い段丘上に、狩口台きつね塚古墳があります。

この一帯には、古墳時代末期の小型古墳が10数基あったそうですが、現在は、このきつね塚古墳だけが残されています。

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きつね塚古墳は6世紀前半につくられたと考えられており、周りにが二重にめぐらされている作りは、この時代の古墳としてはあまり例がないそうです。

墳丘は2段の斜面でできており、すべて盛り土でつくられています。

円墳の直径は26mで濠の直径は56mにもなります。

円墳としては、結構大きめのものだそうです。

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古墳中央には、花崗岩の巨石で築かれた神戸市内最大の両袖式の横穴式石室があるそうです。

その全長は9.5mで、内部には凝灰質砂岩製の家形石棺が納められていたそうです。

しかし、盗堀で破壊され、副葬品は金銅装馬具須恵器が残るのみだったとか。

出土品から、この古墳は6世紀前半に最初の埋葬が行われ、7世紀初頭に追葬が行われたことがわかったそうです。

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実はわたし、いまから40年近く前に、発掘調査中のこの古墳の石室に入らせてもらったことがあります。

昭和53年(1978年)だったと思いますが、当時小学校6年生だったわたしは、夏休みの自由研究で古墳めぐりをしていたところ、たまたま発掘調査中のこの古墳を訪れました。

カメラを持ったわたしを見つけた調査員の方が、わたしを石室の中に入れてくれました。

当時は、緩かったのでしょうね。

で、その写真を貼った自由研究は、みごと入選し、表彰状をいただいた思い出があります。

それから30余年、同じく小学校6年生の娘の自由研究につきあったときの記録が、この稿の写真です。

親子二代のきつね塚古墳探索です。
(説明板が傷んでます。作り直してください。)
     ↓↓↓

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この古墳に埋葬されている人物はわかりませんが、同時期の周辺の古墳とは様相が異なることから、かなり有力な被葬者ではないかと考えられているそうです。



神戸の古墳めぐり その1 ~五色塚古墳と小壺古墳~
神戸の古墳めぐり その2 ~吉田王塚古墳~
神戸の古墳めぐり その4 ~処女塚古墳・西求女塚古墳・東求女塚古墳~
神戸の古墳めぐり その5 ~大歳山遺跡公園・舞子古墳群~

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by sakanoueno-kumo | 2016-03-30 21:34 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

神戸の古墳めぐり その2 ~吉田王塚古墳~

「その1」から2年以上あいてしまいましたが、シリーズ「その2」は、神戸市西区にある吉田王塚古墳です。

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このあたりの住所は「王塚台」といいますが、おそらくこの古墳からとったものでしょう。

場所は神戸市の最西端に位置し、明石市との境界近くにあたります。

いまは住宅地となっていますが、明石川右岸の段丘上に造られた前方後円墳で、全長74m、後円部の直径は44m、前方部前端幅は42mと、明石平野では最も大きく、この付近でも、その1で紹介した五色塚古墳の次に大きな古墳です。
下の画像はGoogleアースより。

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周りはがめぐらされ、中には入れません。

濠の外周には遊歩道があり、公園施設になっています。

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吉田王塚古墳は、日本書紀の記述にある、推古11年(603年)に用明天皇(第31代天皇)の第三皇子・当麻皇子が朝鮮半島に出兵した際、明石の地で亡くなった舎人姫王の墓であるとして、宮内庁が管理しています。
舎人姫王は欽明天皇(第29代天皇)の皇女で、日本初の女帝・推古天皇(第33代天皇)の妹にあたります。

夫の当麻皇子は、あの聖徳太子のすぐ下の弟ですね。

当麻皇子は征新羅将軍を任命され、難波から船で朝鮮半島に向けて出発しましたが、播磨国の明石で妻である舎人皇女が薨去したことから、皇女を明石に葬ったのち、引き返したといいます。

その場所が、この吉田王塚古墳だと考えられてきました。

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ところが、平成12年(2000年)に行われた宮内庁の発掘調査によると、出土した円筒埴輪壷形埴輪、朝顔形埴輪、盾形埴輪などから、5世紀の前半に造られたことがわかったそうです。

舎人皇女の時代から、150年以上も前のことになりますね。

たしかに、6世紀になるとこのような大型の前方後円墳は造られなくなったと考えられていますから、舎人皇女の陵墓という説は、たしかに無理があるのかもしれません。

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現在では、舎人皇女の陵墓と指定せず、陵墓参考地として宮内庁が管理しています。

そんなこんなで、「その3」につづきます。

神戸の古墳めぐり その1 ~五色塚古墳と小壺古墳~
神戸の古墳めぐり その3 ~狩口台きつね塚古墳~
神戸の古墳めぐり その4 ~処女塚古墳・西求女塚古墳・東求女塚古墳~
神戸の古墳めぐり その5 ~大歳山遺跡公園・舞子古墳群~



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by sakanoueno-kumo | 2016-03-25 02:10 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

20年ぶりに『神戸ルミナリエ』に行っていました。

先日、20年ぶりに『神戸ルミナリエ』に行ってきました。
『神戸ルミナリエ』は、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めて行われている光の祭典で、大震災の起きた平成7年(1995年)12月から20年間絶えることなく続けられ、今年で21回目を迎えます。
いまでは全国各地で似たようなことが行われているようですが、はじまりは神戸からです。

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20年ぶりということは、震災の年の第1回以来ということになります。
あのときは、たしかに震災から1年足らずの時期で、先の見えない復興に不安を抱く神戸市民の心を、久々に明るく照らしてくれた希望の光に感じました。
あれから20年、神戸市民でありながら、なぜ行かなかったかというと、人混みがあまり好きではないということと、仕事帰りにでも行こうと思えばいつでも行けるという環境にあると、ついついタイミングを逃してしまうもので・・・。
そんななか、なぜ今年足を運んだかというと、中2になる娘が、「ルミナリエ観たことない」と呟いたため、じゃあ、連れてってあげよう!ということになった次第です。

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20年ぶりに来てみて驚いたのは、とんでもない行列だったこと。
JR元町駅で降りて、そのまま南下して東へすすめるのかと思いきや、一旦西に回されて、その後もぐるぐると街中を迂回させられて、ルミナリエ会場にたどり着くまで約1時間、7000歩以上歩かされました。
20年前は、ここまでじゃなかったですよ。
驚きました。

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今年から、すべてLEDになったそうですね。
たしかに、昨年までの作品にくらべて、あたたかみがなくなったように思いました(といっても、第1回以外はテレビなどでしか観ていませんが)。
また、今年から光のアーチの距離も大幅に短くなったそうですね。
すべてがLEDになってコストアップになったうえ、寄付金の集まりもイマイチだと聞きますから、やむを得ないのでしょうね(わたしの会社にも、毎年寄付金を募る郵便物が届きますが、いつもごめんなさいしてます)。

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この日観れたのは、旧居留地跡の光のトンネルから、東遊園地のメイン会場まで。
聞けば、噴水広場の装飾がめっちゃ綺麗だったそうですが、残念ながら、この日の前日に神戸は台風並みの強風に見舞われ、噴水広場の電飾は大破してしまいました。
早朝5時頃の事故だったため、ケガ人は出ずにすみましたが、たいへんな事故です。
まあ、イタリア人の施工なんて、そんなもんかなぁと思っていたのですが、それから半日後、同じく神戸市内のJR新駅の建設現場で仮設足場が倒壊し、線路を塞いでほぼ1日、JR上下線とも不通になるという大事故が起きました。
こちらも幸いケガ人はいませんでしたが、足場組んだ企業は真っ青だったでしょうね。
この2つの事故のおかげで、当日の神戸市内はヘリコプターが1日中上空をとんでいました。
複数のヘリが上空を旋回している光景を見ると、震災を思い出すんですよね。

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毎年赤字で、来年は中止といわれながら20年間続いてきた『神戸ルミナリエ』ですが、震災から20年の節目の年にこのような事故が起きたことで、あるいは、これを機になくなっちゃうかもしれません。
そうなれば、わたしは最初と最後の記念すべき年に観に行ったということになりますが、神戸市民としては、なくなると聞くと寂しいような気がするもので・・・。
来年もし行われるのであれば、寄付しようかな・・・なんて、軽はずみなことを発言するのはやめておきます(笑)。
だって、一口でも結構高いんですよ。


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by sakanoueno-kumo | 2015-12-18 18:46 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

なだ桜まつりと阪急電車。

今週末の神戸雨予報だったので、先日、七分咲き桜レポートを起稿したのですが(参照:都賀川公園の桜の木の下で思う。)、今日(正確には昨日)、予報を覆して晴天だったので、せっかくなので、再び会社近くの都賀川公園を訪れました。

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今日は土曜日ということもあって、「なだ桜まつり」のイベントが開催されており、人でいっぱいでした。

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今日の都賀川公園は、おそらく満開だったんじゃないでしょうか?

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先日と同じ桜のアーケードです。

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桜との阪急電車です。

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数年前、『阪急電車』という映画がありましたが、たしか、あの映画の中でも、桜のなかを走る電車の絵がありましたよね。


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関西以外の人はそれほど馴染みがないと思いますが、このあずき色の阪急電車の車体は、何十年もずっと変わらない伝統の車両で、鉄道マニアにはたいへん人気の高い車両です。
関西を離れて暮らす関西の方は、この車体を見るときっと昔を思い出すことでしょう。

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少し葉桜になり始めました。
桜の季節も、あとわずかですね。


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by sakanoueno-kumo | 2015-04-05 00:51 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

都賀川公園の桜の木の下で思う。

昨日から4月、ですね。
年々寒さが苦手になっていくわたしも、先週末あたりから、ようやくコートとセーターを脱いでジャケットを羽織りました。
日本の春といえば
毎年、誰かがスイッチを入れたかの如く一斉に開花します。
なかには、季節を間違えて開花するドンくさい奴がいてもよさそうなものですが、ぜったい間違えないですもんね。
ある意味、人間より優れているといえるかもしれません(わたしの知人には、今頃インフルエンザにかかった季節外れな奴もいます)。

で、今年も毎年恒例の桜レポートです。
4月2日現在、神戸はまだ満開にはなっていませんが、明日からしばらく悪天候予報が続いているので、七分咲き程度で妥協し、昨日撮影してきました。

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場所は神戸市灘区の中心部を流れる都賀川沿いの公園です。

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遊歩道を演出する桜のアーケードです。
これ、満開だったらもっと綺麗なんでしょうけどね。

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都賀川に降り注ぐ桜の枝です。

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この日のソメイヨシノは、なんとなく例年よりも白く感じました。
その年の冬の温暖差で、花びらの色が濃くなったり淡くなったりすると聞いたことがありますが、本当なんでしょうか?

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ここ都賀川の川辺は、夏には子どもたちが水遊びをしたり、散歩道ジョギングコースとして市民に愛される憩いのスペースです。
ところが、六甲山から海までの短い南北を、急激に滑り落ちるような形状の河川であるため、ひとたび大雨が降ると、たちまち滝のような濁流の川へと変貌します。
平成20年(2008年)7月28日、局地的な豪雨による増水(鉄砲水)によって5人の方が犠牲になった水難事故を憶えておられる方も多いかと思いますが、あの川です。

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桜並木の公園内には、あの水難事故の慰霊碑が建てられています。

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あと、都賀川の周囲といえば、阪神・淡路大震災の被災地のなかでも、特に被害の大きかった地域でもあります。
当時、わたしの会社はこの川の近くだったんですが、ほとんど倒壊率100%に近い状態のこの地域に毎日足を運び、この川を渡って出社していました。
公園内には、震災の慰霊碑もあります。

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今年は震災20周年のメモリアルイヤー。
10年一昔などといいますが、20年経っても、この川を渡ると当時のことを思い出します。

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神戸では、明日から来週の火曜日あたりまで、ずっと雨の予報です。
来週中頃に入学式が行われる学校が多いと思いますが、それまでに散っちゃうかもしれませんね。
こればかりは、人の手ではどうにも調整ができません。
ゲリラ豪雨も大地震も桜の開花も、天の恵み災いも、すべて神のみぞ知るところですから。
だから、人は自然を尊び、自然の中で生かされているという思いを忘れてはいけないんですね。
わたしたち人間も桜と同様、自然の一部だということを・・・。


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by sakanoueno-kumo | 2015-04-02 17:55 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)