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カテゴリ:神戸の史跡・観光( 35 )

 

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その4

 シリーズ最後に紹介するのは、勝海舟が、神戸海軍操練所建設時に住んでいたといわれる「勝海舟寓居邸」。元は兵庫の豪商である生島四郎という人物の別邸で、海舟は海軍操練所の建築が終わるまではここに仮住まいしており、坂本龍馬も何度か訪れたと言われている。場所はJR神戸駅から北へ3kmほどの場所で、閑静な住宅街の一角。神戸市民にはよく知られる「有馬街道」の入り口付近にある中道古道という細い路地に入っていくと、長い石垣塀に囲まれたその家が見えてくる。

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 狭い路地の向こうに、石垣塀が見えてくる。

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 長く続く石垣塀。この塀すべて邸のもの。

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 そしてここが、「勝海舟寓居邸」の門。当時のままらしい。

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 現在は門のほか、母屋と庭がほぼ当時のまま残っているが、海舟の寓居は1938年(昭和13年)の阪神大水害で流され平地になっているらしい。今も個人住居として生活されているため中には入れないが、西隣の「平家の供養塔」と案内のある門から入り、柵越しに見ることは出来る。門横には観光客用に看板が設置されている。

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 この邸の家主だった生島四郎という人物は、当時の神戸村を代表する庄屋・松屋の主で、酒造業、回船業で財をなした豪商。60歳を過ぎた頃、神戸村の視察に来ていた海舟と偶然知り合い、意気投合して知己となり、神戸海軍操練所の設立には大いに財力で協力したそうだ。海舟は、兵庫開港以前には西国街道沿いの村にすぎなかった神戸の将来性を見抜き、出来るだけ多くの土地を購入しておくよう四郎に勧めたという。その助言のおかげで、四郎は不動産事業においても大成功をおさめ、巨額の利を得たそうだ。また、四郎は兵庫開港に際して外国人居留地の造成を請け負い、新政府から「当港市中取締方取扱」を拝命して開港場の警備を取り仕切り、京都府物産取引立会所の御用達となり、京都の生島居宅が京都物産売捌所となった。こうして開国した新政府の信任を得た生島四郎は、まさに一大政商となった。

 邸の近くに平野祇園神社という社がある。ここに生島四郎が奉献した石燈篭がある。石碑には、勝海舟との関係が記されている。

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 シリーズ4回にわけて紹介した、坂本龍馬と勝海舟ゆかりの神戸史跡めぐり。二人が神戸で過ごした期間は、たったの1年余りで短い日々だった。しかし、龍馬にとってこの神戸は、後の海援隊の基礎をなした出発点で、風雲児・坂本龍馬の飛翔の地といっても大袈裟ではない。海舟にとっても、咸臨丸で渡米したときと同等の情熱を注いだ期間だったに違いないと私は思う。龍馬と海舟の青春の1ページに、少しだけ触れることができた1日だった。

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その2
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その3
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その4


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by sakanoueno-kumo | 2010-06-19 01:32 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(4)  

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その3

 明石海峡大橋と淡路島を展望する神戸市垂水区の海岸沿いに、「舞子砲台跡」がある。文久3年(1863年)、勝海舟の設計・総指揮のもと明石藩が築造した砲台で、対岸の淡路島にある松帆台場と協力して、明石海峡を通過する外国船をはさみ撃ちにするという構想でこの場所に作られたそうだが、実際に使われることはなかった。砲台は残っておらず、台場のみ現存。昭和5年に建てられた石碑がある。
                      
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 後方に見えるのは明石海峡大橋と淡路島。まさか130年後のこの地に世界最長の吊り橋が架かろうとは、海舟も龍馬もまったく想像だにしなかっただろう。

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 2003年に行われた発掘調査時の説明看板。明石海峡大橋の建設計画がほんの数百メートルずれていたら、この史跡の存在はなかった。危ない危ない・・・。

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 砲型のベンチ。こんなものでも置かないと、砲台跡だとはわからないかも・・・。

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 この砲台の建設にあたっては、「神戸海軍操練所」の塾生も指揮していたそうで、坂本龍馬も見学に来ていたらしく、この地で詠んだ歌が残っている。
 「うき事を ひとり明しの 旅枕 磯うつ浪も あわれとぞ聞」
龍馬の詠んだ歌はいくつか残っているが、どれもお世辞にも上手いとは言えない。

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 「舞子砲台跡」から東へ15kmほどの神戸市兵庫区は和田岬に「和田岬砲台」がある。こちらは台場だけでなく、砲台も残されている。ここは三菱重工造船所の敷地内にあるため、見学は事前予約が必要で、この日の私は突然思いつきで史跡巡りをしたため、残念ながら取材は出来ず。

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 この「和田岬砲台」も、上記「舞子砲台跡」と同じく文久3年(1863年)に勝海舟の設計・総指揮のもと築造された。同じ時期に神戸市内にはもうひとつ「湊川崎砲台」が築造され、西宮市には「西宮砲台」「今津砲台」がやはり同時期に築造。京や大阪の玄関口にあたる阪神間の海岸線を、如何に幕府が重要視していたかがうかがえる。工事中には、14代将軍・徳川家茂、少将・一橋中納言慶喜(後の15代将軍・徳川慶喜)も視察に訪れたという。砲台が現存しているのはこの「和田岬砲台」のみ。大正10年(1921年)内務省から兵庫県下における史跡第1号に指定されている。

 次回は、勝海舟が神戸海軍操練所建設時に住んでいたといわれる家を紹介します。

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その2
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その3
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その4


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by sakanoueno-kumo | 2010-06-18 00:00 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(4)  

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その2

 前稿の坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1で紹介した「神戸海軍操練所跡」から北西へ約10kmの場所に、勝海舟直筆の「海軍営之碑」がある。神戸に訪れたことのある方はご存知かと思うが、あの夜空に浮かぶ神戸市章の電飾で有名な「市章山」の麓にある「諏訪山公園」内の高台に、神戸市街を見下ろすようにその碑は建っている。

 神戸市章の電飾で有名な市章山。
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 この「海軍営之碑」は、勝海舟が14代将軍・徳川家茂の神戸来訪を記念して元治元年(1864年)に作り、神戸海軍操練所敷地内に設置しようとしたものの、志半ばで操練所は閉鎖となり、完成していた高さ2mもあるこの碑は、海舟の友人であった神戸の豪商・生島四郎太夫に預けられ、海舟の意向から一時は生島の邸宅内に埋められていたらしい。その後半世紀が経ち、大正4年(1915年)に土中から掘り起こされ、この地に移設されたそうだ。

 碑の建つ場所へは車では行けず、結構ハードな山道を登らなければならない。山道を歩くこと15分。金星台という高台の一角に、低木や草に隠れるように建っている。

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 身長125cmの我が娘をスケールに大きさを比較。

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 説明書きの看板などがないため、詳しくはわからないが、おそらく右の大きい方の石碑が海舟が撰文したといわれる石碑で、左の石碑はこの「諏訪山公園」に移設する際に作られたものだと思われる。右の碑文の部分が黒い御影石になっているのは、おそらく風雨にさらされ読みにくくなったため、近年補修されたものと思われるが、ここだけ妙に新しく違和感を覚えた。歴史的価値も下がったように思えて、なんちゅう余計なことを・・・と思ったのは私だけじゃないのではないだろうか。

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 何せ漢字ばっかなので読解出来ないが、確かに「坂本龍馬」という文字は見つけた。
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 石碑のある高台から望む、神戸市街の景色。
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 こんな山の上までは行ってられない・・・という人には、前稿の「神戸海軍操練所跡」の近くに「みなと公園」というところがあり、そこにこの石碑のレプリカがある。

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 こちらの碑は、昭和48年(1973年)に建てられたもので、レプリカの碑と並んで、操練所の塾生出身で後に第4代兵庫県知事になった陸奥宗光(後、外務大臣)の顕彰碑がある。

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 レプリカ碑の裏には「海軍操練所の生徒で神戸に忘れられない人」として、4人の名前が刻まれている。
 塾長=勝海舟(海軍奉行)
 塾頭=坂本龍馬 (海援隊長)
     伊藤俊輔(博文=初代兵庫県知事・初代内閣総理大臣)
     陸奥陽之助(宗光=兵庫県第四代知事・第二次伊藤内閣外務大臣)


 はて?・・・伊藤博文と神戸海軍操練所は何の関係もないと思うが・・・?
 伊東祐亨(後の海軍大将)なら操練所の出身だけど、伊藤と伊東の間違い・・・なんてことはないよなぁ。レプリカとはいえ、まさか石碑で・・・。

 次回は海舟が関わったとされる砲台跡を紹介します。

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その2
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その3
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その4


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by sakanoueno-kumo | 2010-06-17 00:43 | 神戸の史跡・観光 | Trackback(4) | Comments(0)  

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1

 大河ドラマ「龍馬伝」の影響で、高知や京都、長崎などにある「坂本龍馬ゆかりの地」に訪れる人が激増しているらしい。私の住む神戸にも、かつて坂本龍馬勝海舟が作った「神戸海軍操練所」があり、ゆかりの史跡も多い。今まで足を運んだことはなかったが、せっかくの大河ドラマ年のこの機に行かねば・・・という使命感(?)のような動機がはたらき、先日1日がかりで史跡巡りをしてきた。

 神戸海軍操練所は文久3年9月24日にほぼ竣工した。場所は現在の神戸市中央区にある神戸税関構内にあったらしい。敷地面積は二千四百坪(約8千平方メートル)。そこに塾生の寮が建てられ、周囲には生垣と堀が巡らされた。塾生の数は、龍馬が姉・乙女に宛てた手紙によると2~300人はいたようだ。海舟が神戸を選んだ理由は、江戸時代の末期に網屋吉兵衛(あみやきちべえ)が築いた「船たで場」(船底に付いた貝殻や船虫などを焼くための施設)の設備を利用できると考えたからと言われている。

 現在、その跡地に重さ10トンにおよぶ錨を用いた「神戸海軍操練所跡碑」が建っている。
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 この錨の碑は、昭和43年に神戸の経済界や港湾の関係者の方々が、旧軍艦の錨を兵庫県に寄贈し建てられたそうだ。その後、ビル建設工事の理由で平成3年ごろに一時的に撤去され、直ぐに復旧する予定だったが、阪神・淡路大震災や経済不況のあおりを受け、長い間撤去されたままになっていたらしく、撤去されてから約10年たった平成13年11月、周辺のビル建設工事完了と共にようやく復活。現在は国道2号線沿いにあるNTTビル横で見ることができる。

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 この石柱は昭和29年2月と彫られており、上の錨の碑より以前からあるもののようだが、詳しいことは調べがつかなかった。

 錨の碑の前にある本型の石碑。高い位置にあるためとても読みづらい。
 (脚立があるはずもなく、おもいっきり腕を上に伸ばして撮影しました。)
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【本型碑文の内容】
 万延元年(1860年)1月、幕府は遣米修好使節団を公式に派遣した。その際、勝海舟は、咸臨丸(300トン)の艦長として、万里の波浪とたたかいながら一行の護衛と海洋技術習得の大任を果したのである。これ、日本人による最初の太平洋横断であり、わが航海史上、特筆大書すべき壮挙であった。
 文久3年(1863年)4月、攘夷の世論ようやく急を告げ、徳川家茂は摂海防備のため阪神海岸を巡視した。当時、海舟は軍艦奉行並の職務にあって、これに随行し、神戸港が天然の良港であり国防の要港であることを力説した。かくてここ小野浜の地に海軍操練所の創設をみたのである。
 この神戸海軍操練所は兵学校、機関学校、海軍工廠を総合した観があり大規模な組織であった。勝海舟はここに天下の人材を集め日本海軍の礎を築き、海外発展の基地をつくろうとした。その高風を仰ぎ、来り学ぶ俊英二百の多きを数え、坂本龍馬、陸奥宗光、伊東祐享など幾多有為の人材が輩出したのである。
 元治元年(1864年)、海舟は禁門の変に操練生の一部が反幕軍として参加したため、激徒養成の嫌疑を被って解職され、操練所もまた翌慶応元年(1865年)3月、ついに閉鎖されるの止むなきに至ったのである。
 当時は、この「記念の錨」から東へ長くひろがり、南は京橋詰から税関本庁舎を望むあたりの、長方形の入堀約一万坪の一帯が海軍操練所であった。惜しくも現在では阪神高速道路の下に埋めたてられて当時の盛観をしのぶに由もない。今はただ、遠く諏訪山公園からこの地を見守る勝海舟直筆の碑文を仰ぐことのできるのがせめてもの救いである。
 ここに当時を偲び郷土を愛する人びとに、この記念碑を捧げる。
 昭和四十三年十月建之


 次回は上記碑文の中でも紹介されている、海舟直筆の海軍営之碑を紹介します。

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その2
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その3
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その4


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by sakanoueno-kumo | 2010-06-16 00:51 | 神戸の史跡・観光 | Trackback(3) | Comments(5)  

「アルプスの少女ハイジ」に会いに。

連休の中日の日曜日、7歳の娘を連れて神戸市の六甲山頂近くにある「六甲山牧場」に訪れました。
標高931mの六甲山は、阪神間を一望できる神戸市街地の北に位置し、そこから見られる夜景は1000万ドルの夜景と称されて親しまれています。

この日は真昼間なので夜景は見れませんでしたが、晴天で絶好の行楽日和。

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六甲山牧場はスイスの山岳牧場を範にした高原牧場で、面積126ヘクタールの内23ヘクタールを一般に開放しています。
羊、山羊、牛、馬などの動物がいて、特に羊は常時放牧されていて触れ合うことが出来ます。

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こちらは羊の厩舎↓
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娘は乗馬に初チャレンジ。
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ひとしきり動物と自然を満喫したのち、この日の一番の目的へ。
ここ六甲山牧場には、アニメの「アルプスの少女ハイジ」をテーマにしたカフェ、「ハイジ・パスチャー・カフェ」があります。
数か月前からレンタルDVDで「アルプスの少女ハイジ」を娘に見せていて、すっかりハイジに感化された娘にバーチャル体験をさせてあげようという趣旨で訪れました。
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カフェの入口では、ハイジとペーターとクララが出迎えてくれます。
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店内ではあの丸い窓からハイジが・・・。
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クララの車椅子↓↓↓ スイスのマイエンフェルト市より寄贈されたものだそうです。
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「クララが立った~。」 思わずあの感動のシーンが蘇りそうです。

店内にはハイジのグッズが沢山展示・販売されています。
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我が娘は、ハイジのポーチとクララのキーホルダーを購入しました。
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永遠の名作「アルプスの少女ハイジ」。
この日も店内は人でいっぱいで、カフェでの飲食は断念。
30年以上昔のアニメですが、今もなお人気があるんですね。
ここへ来ればハイジを堪能できます。
興味のある人、昔ハイジを見て涙した人、神戸に訪れた際には一度足を運んでみてください。


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by sakanoueno-kumo | 2009-10-15 01:23 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(4)