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    <title>坂の上のサインボード:山崎合戦ゆかりの地</title>
    <category domain="http://signboard.exblog.jp/i46/">山崎合戦ゆかりの地</category>
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    <description>五十にして未だ天命を知らず</description>
    <dc:language>ja</dc:language>
    <dc:creator>sakanoueno-kumo</dc:creator>
    <dc:rights>2020</dc:rights>
    <pubDate>Tue, 22 Dec 2020 20:24:32 +0900</pubDate>
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      <title>坂の上のサインボード</title>
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      <description>五十にして未だ天命を知らず</description>
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      <title>山崎合戦のまちを歩く。　その１５　「明智藪～明智光秀胴塚～小栗栖八幡宮」</title>
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      <description><![CDATA[シリーズ最終稿です。羽柴秀吉軍の追撃を受けて勝龍寺城を脱出した明智光秀は、自身の居城である坂本城に落ち延びる途中、小栗栖の藪で土民の竹槍に刺されて落命したと伝わります。山崎合戦の舞台からはずいぶんと離れますが、ここまできたら、光秀の最期を見届けようと思い、京都市伏見区小栗栖に伝わる光秀落命の地にやってきました。





 「明智藪」という名称がついているようです。付近まで行くと、上の写真よ...]]></description>
      <dc:subject>山崎合戦ゆかりの地</dc:subject>
      <dc:creator>sakanoueno-kumo</dc:creator>
      <pubDate>Thu, 04 Aug 2016 16:38:09 +0900</pubDate>
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      <title>山崎合戦のまちを歩く。　その１４　「洞ヶ峠」</title>
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      <description><![CDATA[「洞ヶ峠を決め込む」という言葉がありますよね。両者を比べて、有利な方につくために形勢を観察し、日和見的な態度をとることを言いますが、この言葉の由来は、山崎合戦で明智光秀から援軍要請を受けた大和国郡山城主の筒井順慶が、羽柴秀吉と明智光秀のどちらに加勢しようかと、洞ヶ峠に陣取って形勢をうかがったというにちなみます





「洞ヶ峠」という名称は現在も残っており、京都府八幡市と大阪府枚方市の府境...]]></description>
      <dc:subject>山崎合戦ゆかりの地</dc:subject>
      <dc:creator>sakanoueno-kumo</dc:creator>
      <pubDate>Wed, 03 Aug 2016 18:49:14 +0900</pubDate>
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      <title>山崎合戦のまちを歩く。　その１３　「勝龍寺城跡 ～後編～」</title>
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      <description><![CDATA[勝龍寺城の本丸跡は東西１２０ｍ、南北８０ｍの長方形で、現在は庭園として整備されています。

 向こうに人物像が２体見えます。

 像は細川藤孝の嫡子・細川忠興と、その妻・玉（ガラシャ）のものでした。ふたりは勝龍寺城で盛大な結婚式を挙げ、天正８年（１５８０年）に丹後国宮津に移るまでの２年間、新婚生活をこの地で過ごします。

 １５歳どうしの結婚でしたが、わずか２年の間に２人の子宝に恵まれます。...]]></description>
      <dc:subject>山崎合戦ゆかりの地</dc:subject>
      <dc:creator>sakanoueno-kumo</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 29 Jul 2016 16:06:57 +0900</pubDate>
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      <title>山崎合戦のまちを歩く。　その１２　「勝龍寺城跡 ～前編～」</title>
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      <description><![CDATA[前稿で紹介した恵解山古墳から北東へ５００ｍほどのところに、勝龍寺城跡があります。山崎合戦において羽柴秀吉に敗れた明智光秀は、一時、ここ勝龍寺城に逃げ込んだと伝えられます。当時、勝龍寺城には光秀の三女・玉（ガラシャ）が嫁いでいました。

 応仁・文明の乱頃から、寺院としての勝龍寺が臨時的な砦としてしばしば使われていたようですが、恒常的な城として確実な史料が残されているのは、元亀２年（１５７４年...]]></description>
      <dc:subject>山崎合戦ゆかりの地</dc:subject>
      <dc:creator>sakanoueno-kumo</dc:creator>
      <pubDate>Thu, 28 Jul 2016 14:17:03 +0900</pubDate>
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      <title>山崎合戦のまちを歩く。　その１１　「明智光秀本陣（境野１号墳・恵解山古墳）」</title>
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      <description><![CDATA[石碑のある公園から北東へ５００ｍほど歩いたところに、山崎合戦において明智光秀が本陣を布いたと考えられている場所があります。
 
『太閤記』の記述に、光秀の本陣は「御坊塚」に布かれたとありますが、その「御坊塚」というのが、かつてこの地にあった境野古墳群のなかの境野１号墳と推定されているそうです。

 現在、古墳はサントリーの工場敷地内になっており、中には入れません。フェンスの外に、説明看板が建...]]></description>
      <dc:subject>山崎合戦ゆかりの地</dc:subject>
      <dc:creator>sakanoueno-kumo</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 22 Jul 2016 18:16:16 +0900</pubDate>
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      <title>山崎合戦のまちを歩く。　その１０　「山崎合戦古戦場碑」</title>
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      <description><![CDATA[名神高速道路の大山崎インターチェンジを降りてすぐのところに、「山崎合戦古戦場碑」があると聞いてやってきました。当時の合戦図を検証すると、ちょうどインターチェンジあたりを境に、明智光秀軍と羽柴秀吉軍が対峙していたと考えられているそうで、その中心あたりに近年石碑を建てたとか。

 で、現地に足を運んでみたのですが、なかなか石碑が見つからない。ネットの情報では、大山崎中学校の校門付近に建っていると...]]></description>
      <dc:subject>山崎合戦ゆかりの地</dc:subject>
      <dc:creator>sakanoueno-kumo</dc:creator>
      <pubDate>Thu, 21 Jul 2016 22:20:38 +0900</pubDate>
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      <title>山崎合戦のまちを歩く。　その９　「油祖離宮八幡宮」</title>
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      <description><![CDATA[ＪＲ山崎駅の南側に、離宮八幡宮があります。門前にある神社の縁起によると、貞観元年（８５９年）に清和天皇（第５６代天皇）が九州は大分の宇佐八幡宮より大安寺の僧行教が勧進したといい、淀川を挟んで対岸にある石清水八幡宮はここから分祀されたもので、石清水の名はこの地に涌き出ている霊泉『石清水』に因んだとしています。

 その後、嵯峨天皇（第５２代天皇）の離宮「河陽（かや）離宮」跡であったので、社名を...]]></description>
      <dc:subject>山崎合戦ゆかりの地</dc:subject>
      <dc:creator>sakanoueno-kumo</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 15 Jul 2016 18:41:27 +0900</pubDate>
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      <title>山崎合戦のまちを歩く。　その８　「山崎宗鑑冷泉庵跡～妙喜庵」</title>
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      <description><![CDATA[天王山登山口のすぐ横に、「山崎宗鑑冷泉庵跡」があります。山崎宗鑑は「俳諧の祖」と称される室町時代後期の歌人で、出家後、この地に隠棲していたと伝わります。

 宗鑑は本名を志那弥三郎範重といい、寛正６年（１４６５）頃に近江国で生まれたと伝わります。生家は支那地区を幼少時より室町幕府９代将軍足利義尚に仕え（近習とも祐筆とも）、あの一休禅師とも親しかったとか。しかし、義尚が佐々木高頼との合戦（鈎の...]]></description>
      <dc:subject>山崎合戦ゆかりの地</dc:subject>
      <dc:creator>sakanoueno-kumo</dc:creator>
      <pubDate>Wed, 13 Jul 2016 17:13:33 +0900</pubDate>
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      <title>山崎合戦のまちを歩く。　その７　「山崎院跡」</title>
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      <description><![CDATA[天王山の麓を走るＪＲ線路沿いの道路脇に、「山崎院跡」と刻まれた石碑が立っています。「山崎院」とは、奈良時代の高僧・行基が建てた寺院で、神亀２年（７２５年）、山崎の地に来た行基は淀川に「山崎橋」を架け、その維持管理と布教活動の拠点として、山崎院を建立したと伝わります。

 平成元年（１９８９年）と平成１１年（１９９９年）の発掘調査により、日本最古級の彩色された壁画片約１００点や、陶器、瓦、釜な...]]></description>
      <dc:subject>山崎合戦ゆかりの地</dc:subject>
      <dc:creator>sakanoueno-kumo</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 08 Jul 2016 20:08:00 +0900</pubDate>
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      <title>山崎合戦のまちを歩く。　その６　「天王山山頂（山崎城跡）」</title>
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      <description><![CDATA[山崎の戦いで明智光秀に勝利した羽柴（豊臣）秀吉は、天王山山頂に天守を持つ城を築きます。この城は山崎城とも天王山城ともいい、のちに大坂城が築かれるまでの秀吉の本拠地となりました。

 酒解神社を過ぎたあたりから、いくつもの曲輪跡らしき遺構が確認できます。

 土塁っぽいですね。

 山頂に繋がる登り口、どうやらここが虎口のようです。

 山頂にあがると、主郭跡は広場になっています。この日はたい...]]></description>
      <dc:subject>山崎合戦ゆかりの地</dc:subject>
      <dc:creator>sakanoueno-kumo</dc:creator>
      <pubDate>Thu, 07 Jul 2016 07:11:40 +0900</pubDate>
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      <title>山崎合戦のまちを歩く。　その５　「禁門の変十七烈士之墓～酒解神社」</title>
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      <description><![CDATA[山崎合戦旗立松のすぐ上には、酒解神社大鳥居があります。酒解神社は山崎の産土神で、大山崎町のある乙訓郡では最も古い神社だそうです。ただ、この大鳥居は新しいもののようですね。鳥居をくぐると、「その３」で紹介した道陶板絵図があります。

 大鳥居をあとにして山道を登っていくと分かれ道になっていて、標識を見ると、「十七烈士の墓を経て酒解神社」と書かれた誘導が・・・。何かわからぬまま、そちらの誘導に従...]]></description>
      <dc:subject>山崎合戦ゆかりの地</dc:subject>
      <dc:creator>sakanoueno-kumo</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 01 Jul 2016 18:24:04 +0900</pubDate>
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      <title>山崎合戦のまちを歩く。　その４　「山崎合戦旗立松」</title>
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      <description><![CDATA[天王山八合目あたりに、「旗立松」と刻まれた石碑と石灯籠があり、その横に松の木が植えられています。説明板によると、山崎合戦の際に羽柴（豊臣）秀吉がここにあった老松の樹上高くに旗印を掲げ、自軍の士気を高めたと伝えられるそうです。

 当時の旗立松は明治中期ごろまでは、その姿をとどめていたそうですが、朽ちてしまったそうです。


その後、幾度か植樹を繰り返し、説明看板には５代目とありますが、現在の...]]></description>
      <dc:subject>山崎合戦ゆかりの地</dc:subject>
      <dc:creator>sakanoueno-kumo</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 24 Jun 2016 07:28:47 +0900</pubDate>
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      <title>山崎合戦のまちを歩く。　その３　「天王山登山道～秀吉の道陶板絵図」</title>
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      <description><![CDATA[宝積寺をあとにして天王山山頂を目指します。登山道はハイキングコースになっていますので、そう苦もなくのぼれます。
 
この日は昨秋１０月１８日の気候のいい日だったので、絶好のハイキング日和で多くの登山客とすれ違いました。

 途中の休憩所から見た天王山南側の眺望。中央の高いビルとビルの間に、かすかに大坂城が見えるとのことですが・・・。

 う～ん・・・見えるような見えないような・・・。

 登...]]></description>
      <dc:subject>山崎合戦ゆかりの地</dc:subject>
      <dc:creator>sakanoueno-kumo</dc:creator>
      <pubDate>Thu, 23 Jun 2016 00:01:39 +0900</pubDate>
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      <title>山崎合戦のまちを歩く。　その２　「大念寺～宝積寺」</title>
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      <description><![CDATA[登山口からしばらく急な坂道を登っていくと、これまた急勾配の石段があります。ここを登ったところに、大念寺という小さなお寺があったので、立ち寄ってみました。 

大念寺は弘治元年（１５５５年）、この地に住む井尻但馬守長助が、京都知恩院の徳誉光然上人を開山として建立したお寺だそうです。本尊には「阿弥陀如来立像」（国指定の重要文化財）があるそうですが、拝観するには予約が必要だそうで、この日は見送り。...]]></description>
      <dc:subject>山崎合戦ゆかりの地</dc:subject>
      <dc:creator>sakanoueno-kumo</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 10 Jun 2016 00:23:27 +0900</pubDate>
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      <title>山崎合戦のまちを歩く。　その１　「天王山登山口」</title>
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      <description><![CDATA[「ここが勝負の天王山」という言葉がありますよね。ここ一番の勝負どころのことを「天王山」と表現して、スポーツの実況放送などでよく使われていますが、このたとえの由来が、羽柴（豊臣）秀吉と明智光秀が激突した山崎合戦であることは周知のところだと思います。「本能寺の変」で主君の織田信長を討った光秀が、備中高松城から猛スピードで帰ってきた秀吉に討たれた戦いで、この敗北によって、いわゆる「光秀の三日天下」...]]></description>
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      <pubDate>Wed, 08 Jun 2016 23:43:26 +0900</pubDate>
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