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カテゴリ:麒麟がくる( 7 )

 

麒麟がくる 第6話「三好長慶襲撃計画」 ~足利義輝、細川晴元、三好長慶~

 今回は細川晴元三好長慶覇権争いが主体の話でしたね。この2人の関係を見るには、まずはこの時代の政局について知る必要があります。


麒麟がくる 第6話「三好長慶襲撃計画」 ~足利義輝、細川晴元、三好長慶~_e0158128_16120757.jpg 足利義輝が将軍職に就いていたこの時代、室町幕府の権威は地に落ちたも同然の状態でした。この時代より80年ほど前に起きた応仁の乱を幕府が収拾できなかったことで、将軍の存在意義がなくなってしまっていたんですね。代わって実権を握ったのが、幕府ナンバー2のポジションにあった管領、特に細川氏でした。室町幕府の管領は当初、斯波氏、細川氏、畠山氏の三家(三管領家)が持ち回りで務めましたが、これも応仁の乱以降、細川氏以外の二氏は急速に勢力を失い、細川氏が独占するようになっていました。本来、管領は将軍を補佐する立場だったのですが、いつしか彼らは将軍の言うことなど聞かなくなり、むしろ、歯向かえば逆に攻撃してくるほど力関係は逆転していた状態で、義輝の祖父の代には、将軍家は京を追われて近江国に逃れていました。そのため、義輝が生まれたのも、近江国だったといいます。


麒麟がくる 第6話「三好長慶襲撃計画」 ~足利義輝、細川晴元、三好長慶~_e0158128_16120457.jpg そんな細川氏の中でも、権力争いが絶えませんでした。父の死によって7歳で家督を継いだ細川晴元は、13歳のとき、父の政敵だった細川高国打倒の兵を挙げ、この戦いに勝利します。このとき晴元の力となったのが、三好長慶の父・三好元長でした。三好氏は阿波細川氏に代々仕える譜代の臣で、この功績により、更に重臣としての地位を高めます。しかし、その関係も長くはつづかず、三好元長が細川高国との和睦を図ったことによって不仲となります。その後も両者は勢力争いのなかで対立、和睦を繰り返しますが、やがて元長は晴元によって自害に追い込まれます。そうすると、今度は元長の嫡男・長慶と和睦して配下に組み入れます。この晴元と長慶の関係も、ひっついたり離れたりを繰り返すのですが、ドラマのこの時期は、関係が悪化していた時期ですね。ネタバレになりますが、晴元はやがて長慶によって失脚させられます。まあ、長慶にしてみれば、父の仇ですからね。当然の反逆だったといえるでしょう。


 なぜ晴元は、対立と和睦を繰り返しながらも三好氏を配下に組み入れたかというと、激しい覇権争いの続くなか、政権を維持するには三好氏の武力を頼るしかなかったんですね。


 将軍・足利義輝は、父の足利義晴とともに晴元によって京を追われていましたが、ドラマのこの前年に晴元と和睦し、京に戻ってきていました。ドラマで三好長慶と松永久秀の襲撃計画を聞きつけた明智光秀が、三淵藤英細川藤孝に助けを求めにいったところ、三好も松永も昨年までは争っていた間柄で、駆けつける理由がないと断っていましたが、そういう背景からの台詞だったわけです。


 ドラマでは三好長慶と松永久秀を助けるために家臣を現場に向かわせた義輝でしたが、この翌年には長慶と対立することとなり、これもネタバレになりますが、この15年後、松永久秀と三好一族の三好三人衆によって殺害されます。まさに、昨日の友は今日の敵。誰と誰が味方で誰が敵か、わけのわからない時代でした。つくづく、こんな時代に生まれなくてよかったと思います。いちばん恐るべきは隣国の敵よりも有力な家臣、そんな時代だったんですね。その秩序の乱れを、「何かが違う」と憂うドラマの光秀。もっとも、明智光秀その人こそ、日本史上最も有名な反逆事件を起こすことになるんですけどね。



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by sakanoueno-kumo | 2020-02-25 16:14 | 麒麟がくる | Trackback | Comments(0)  

麒麟がくる 第5話「伊平次を探せ」 ~鉄砲伝来と細川藤孝との出会い~

 今回は、斎藤利政(のちの道三)の命を受けた明智光秀が、将軍家が鉄砲を大量に必要としているかを探るべく、近江国、そしてを訪れる話。もちろんフィクションです。鉄砲がはじめて日本に伝わったのは、天文12年(1543年)のこととされていますから(異説あり)、ドラマのこの当時は、まだ4、5年しか経っておらず、それほど世に出回っていない時代です。ドラマでは「鉄砲」という言葉が使われていますが、「鉄砲」という言葉が既にあったかどうかはわかりませんが、この当時の火縄銃の名称は、伝来した場所からとって「種子島」と呼ばれていたはずです。革新的な製品が誕生したとき、その生産者や生産地の名称がそのまま製品名になるというのは、今も昔もよくある話ですね。わたしが社会人になった30年ほど前、上司たちはコピーを取ることを「ゼロックスする」といっていましたが、あれと同じでしょうか? 若い人は知らないでしょうね(笑)。ちなみに、わたしの部下は、いまも紅茶のことを「リプトン」と呼んでいますが、あれは彼だけです(笑)。


鉄砲を種子島に持ち込んだのは、中国船に乗っていたポルトガル人のフランシスコキリシタダモッタの2人とされています。このフランシスコを、かの宣教師フランシスコ・ザビエルと混同して覚えている人がよくいますが、別人です。ザビエルが日本に来たのは鉄砲伝来より四半世紀のちの天文18年(1569年)のことで、上陸したのも種子島ではなく鹿児島。持ち込んだのも鉄砲ではなくキリスト教でした(献上品のなかには鉄砲もあったかもしれませんが)。


 種子島の島主・種子島時堯は、鉄砲を2丁買い求め、1丁は家宝とし、もう1丁を刀鍛冶八板金兵衛清定に命じて分解させ、研究させます。当時の日本にはネジというものがなく悪戦苦闘が続いたようですが、やがて国産の火縄銃、その名も「種子島」が金兵衛らによって完成すると、瞬く間に各地に生産が広まり、和泉国の、紀伊国の根来、そしてドラマに登場した近江国の国友、同じく近江国の日野などが代表的な産地となります。他にも、「鉄砲町」という地名がいまも全国各地に残っていますが、それらはすべて、鉄砲鍛冶が住む町でした。ドラマに出てきた鉄炮鍛冶の伊平次は架空の人物だと思いますが、上述した八板金兵衛清定も元は刀鍛冶だったことを思えば、的外れな設定ではないでしょうね。鉄砲も刀も武器で、しかもを材料としているという点で、刀鍛冶がそのまま鉄砲鍛冶になったという例が多かったんじゃないでしょうか。


その後、生産ラインが充実すると、戦場における新兵器として、戦国大名たちは挙って鉄砲を買い求めはじめ、やがてこれが、日本の天下統一を左右していくことになるんですね。ちなみに、戦国時代末期には、日本は50万丁以上の鉄砲を所持していたともいわれ、この当時、世界最大の銃保有国となるに至ります。話はそれますが、幕末、黒船艦隊の脅威から明治維新を迎え、わずか半世紀ほどで世界一二を争う海軍を保有するに至る日本。第二次世界大戦後の焼け野原から、わずか半世紀ほどで世界一二を争う経済大国となった日本。その是非は別として、戦国時代も現代も、わが国の適応能力の高さには目をみはるものがあります。


麒麟がくる 第5話「伊平次を探せ」 ~鉄砲伝来と細川藤孝との出会い~_e0158128_16193644.jpg のちに光秀のマブダチとなる細川藤孝(のちの幽斎)が出てきましたね。言うまでもなく細川護熙元総理ご先祖様です。光秀の盟友といえば、まず最初にこの人が思い浮かぶと思いますが、光秀と藤孝が、いつ、どのように出会ったかは史料がなく、詳しいことはわかっていません。司馬遼太郎『国盗り物語』では、斎藤道三の命により美濃を落ち延びた光秀が、諸国を流浪中に藤孝と出会い、その縁で足利将軍家の知己を得るという展開でしたが、イエズス会宣教師ルイス・フロイス『日本史』によれば、光秀はもともと藤孝の家臣だったが、その能力を買われ、信長の重用されていったと記されています。今回のドラマでは、いきなり刀を交えるという出会いでしたが、今後、どのように描かれるのでしょうね。


 その二人の斬り合いを制止したのが、室町幕府第13代将軍・足利義輝でしたが、たしかに義輝は「剣豪将軍」と呼ばれるほどの剣の使い手だったといわれる将軍ですが(異説あり)、無粋なことを言うようですが、ドラマの設定時はまだ数え13歳、現在でいえば小学校6年生です。向井理さん、無理がありますね(笑)。まあ、光秀にしても、一般的に通説となっている享禄元年(1528年)生まれ説でいえば、このときはまだ21歳。鷹揚に観ましょう(笑)。



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by sakanoueno-kumo | 2020-02-17 16:24 | 麒麟がくる | Trackback | Comments(0)  

麒麟がくる 第4話「尾張潜入指令」 ~小豆坂の戦い~

 第4話の冒頭は戦シーンからでしたね。この戦いは、駿河国の今川義元と三河国の松平広忠の連合軍が、三河に侵攻してきた尾張国の織田信秀と激突した戦いで、後世に「小豆坂の戦い」と呼ばれます。ドラマでは少しだけしか描かれませんでしたが、今回はそれ以外は主にフィクションの回だったので、小豆坂の戦いについて解説します。


麒麟がくる 第4話「尾張潜入指令」 ~小豆坂の戦い~_e0158128_19571171.jpg 三河国を治める松平氏は、ながく西の織田氏、東の今川氏の脅威にさらされていました。松平広忠が当主だったこの当時、三河への進出を狙う織田氏と対峙するため、今川氏の後援を受けていましたが、天文13年(1544年)、刈谷城あたりを治めていた国人・水野信元が、今川氏を離反して織田氏に寝返ります。水野信元は松平広忠の正室・於大の方(弟という説も)でした。そこで広忠は於大の方を離縁し、さらに、今川との関係を密にすべく、息子の竹千代人質に出すことにします。のちの徳川家康ですね。ところが、天文16年(1547年)、護送の任にあたった田原城主・戸田康光裏切りによって織田方に渡されてしまいます。竹千代、数え6歳のときです。織田信秀は人質の竹千代を利用して織田の傘下に入るよう広忠に働きかけますが、広忠はこれに応じず、今川氏を頼って織田氏への徹底抗戦の構えを崩しませんでした。


天文17年(1548年)3月、信秀は本格的な三河侵攻を狙い、岡崎城攻めを開始します。庶長子の織田信広を先鋒とし、4000余りの兵を率いて安祥城から矢作川を渡河、上和田に着陣しました。一方、東の今川義元も、太原雪斎を大将、朝比奈泰能を副将とした約1万の兵を松平氏の援軍として出陣させ、同月19日、小豆坂で合戦となります。


 戦いは当初、織田軍の方が優勢だったといいますが、伏兵となっていた今川方の部隊が攻撃に転じ、織田本軍に横槍を入れたことで形勢は逆転。織田勢は総崩れとなります。戦いは松平・今川連合軍の勝利で終わりました。


 ドラマでは、この戦いで信秀は流れ矢に当たって重症を負っていましたが、調べてみたところ、そのような史料は確認できません(知っている人がいれば教えてください)。ドラマでの東庵の見立てでは、当たったのは毒矢で、その毒がまわって既に手遅れになっているかの報告が斎藤道三のもとにもたらされていましたが、実際には、信秀はまだあと4年生きます。見立て違い? それとも意図的なガセネタ? 東庵という人物、まだよくつかめませんね。


 織田氏の人質となった竹千代ですが、翌年、今川方の太原雪斎が安祥城を攻略し、織田信広を生け捕りにして竹千代との人質交換を果たします。その後、竹千代は今川氏の下で人質として過ごすことになるわけですね。織田氏の人質として過ごしていた期間は2年間ほどでしたが、小説やドラマなどでは、このとき9歳上の織田信長と知り合ったというエピソードがよく描かれますが、たしかな史料はありません。でも、会ってたっておかしくないですよね。6歳と15歳では意気投合はしなかったでしょうが、のちに今川氏を離反して織田氏と同盟を結ぶことになる家康。このとき、何らかのシンパシーを感じていた・・・なんてのは、ベタなドラマの観すぎですかね? まあ、少なくとも、薬売りに扮した明智光秀には会っていなかったと思いますが。



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by sakanoueno-kumo | 2020-02-10 19:59 | 麒麟がくる | Trackback | Comments(2)  

麒麟がくる 第3話「美濃の国」 ~斎藤道三に担がれてはしごを外された土岐頼芸~

 土岐頼芸が出てきましたね。頼芸といえば、斎藤道三に国を盗られたバカ殿さまというイメージが強い人物ですが、『麒麟がくる』ではどのように描かれるでしょうか。そこで、今回は頼芸と道三のこれまでの足跡を簡単に解説します。


 美濃国守護・土岐政房の次男として生まれた頼芸は、兄に土岐頼武がいたのですが、父の政房が嫡男である頼武より次男の頼芸を偏愛して家督を継がせようしたため、兄弟は対立していくようになりました。そうなると、やがてこの対立関係に合わせて家臣たちも分裂し、兄の頼武を支持する美濃守護代の斎藤利良と、弟の頼芸を担ぐ長井長弘、長井新左衛門(松波庄五郎)らとの派閥争いに発展します。この長井新左衛門(松波庄五郎)が、かつては斎藤道三と改名前と考えられていましたが、現在では道三の父という説が定説となっています。両派は幾度も争いを繰り広げ勝ったり負けたりを繰り返していましたが、そんな派閥争いのなか、美濃国守護の土岐氏はだんだん弱体化していきました。


麒麟がくる 第3話「美濃の国」 ~斎藤道三に担がれてはしごを外された土岐頼芸~_e0158128_19245940.jpg そして大永5年(1525年)に起きた大きな内乱で頼芸が勝利し、頼武は妻の実家である越前国の朝倉氏を頼って落ち延びます。このとき頼芸をバックアップしたのが、長井新左衛門の子・長井規秀でした。のちの斎藤道三です。以後、頼芸は道三を重用し、勢力保持を図ります。しかし、道三は頼芸の手に余る曲者でした。ここから道三の国盗り物語が始まるんですね。道三はかつて父を推し上げてくれた恩人長井長弘を、あらぬ嫌疑をかけて謀殺し、その後、美濃国守護代の斎藤利良が病死すると、その名跡を継いで斎藤新九郎利政と名乗ります。さらに、利政は土岐氏の弱体化を狙って頼芸の弟の土岐頼満を宴で毒殺。この事件が契機となって、頼芸と道三とのの対立抗争がはじまりました。天文11年(1542年)に道三は頼芸の居城・大桑城を攻め、頼芸とその子の二郎(頼次)を尾張へ追放して、事実上の美濃国主となったとされています。


 その後、頼芸は尾張国の織田信秀の支援を受け、越前国の朝倉孝景の庇護下にあった甥の土岐頼純とともに美濃国へ復帰しますが、天文15年(1546年)に道三と孝景が和睦し、その和睦の条件が頼芸の守護退任であったため、頼芸は守護の座を頼純に明け渡しました。しかし、第2話で描かれていたように、その頼純も道三によって毒殺され、守護職が空席となっていました。これが、今回、道三が頼芸に守護職復帰を促していたシーンにつながるわけです。


 ただ、これらの説はすべて一説であって、異説がたくさんあります。天文11年(1542年)に頼芸が追放されたという話も、諸説あって定かではありません。また、頼純が守護職に就いたという話もたしかな史料はなく、この時点では、まだ頼芸が守護職だったと説く歴史家さんたちも多くおられます。このあたりの土岐氏については、詳しくはわかっていないことが多いようです。道三に担がれてはしごを外された頼芸。ドラマのとおり、頼芸は鷹の絵を得意とし、後世に幾つもの書画を書き残しています。頼芸は守護職の家などに生まれず、文化人として身を立てたほうが後世に名を残したかもしれませんね。


 道三の側室・深芳野も出てきましたね。深芳野はかつて頼芸の愛妾だった女性で、のちに道三へ下賜され、道三の嫡男・斎藤義龍を生んだとされますが、実は彼女は既に頼芸の胤を身籠っていたといわれ、その子が義龍であるという説があります。それが、のちの父子の確執となっていった、と。ただ、これも一説であり、たしかな証拠はありません。義龍の母親については、深芳野ではなかったという説もありますしね。この話は、また次の機会にしましょう。



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by sakanoueno-kumo | 2020-02-03 19:31 | 麒麟がくる | Trackback | Comments(0)  

麒麟がくる 第2話「道三の罠」 ~加納口の戦いと土岐頼純の暗殺~

 第2話はガッツリ戦の回でしたね。『信長公記』によれば、この戦いを「加納口の戦い」といいますが、戦いの話の前に、まずはこの戦いに至る経緯を簡単に解説しましょう。


麒麟がくる 第2話「道三の罠」 ~加納口の戦いと土岐頼純の暗殺~_e0158128_19245940.jpg 美濃国守護の土岐氏では、長いあいだ土岐頼武頼芸の兄弟による家督争いが続いていました。この兄弟の確執は、二人の父である土岐政房が、嫡男である頼武より末弟の頼芸を偏愛して家督を継がせようとしたことがそもそもの始まりですが、政房の死後、いったんは家督を継いだ頼武でしたが、大永5年(1525年)に起きた内乱で頼芸が勝利し、頼武は妻の実家である越前国の朝倉氏を頼って落ち延びます。このとき頼芸をバックアップしたのが、斎藤利政(のちの道三)でした。


 その後、美濃国守護となった頼芸を道三が補佐して国を治めていくことになるのですが、その後、頼武の名前は史料に見られなくなるものの、嫡子の土岐頼純(もしくは頼充)が、天文4年(1535年)頃から朝倉氏、六角氏に支援されて美濃国に侵攻します。このあと両者は和睦となり、頼純は大桑城主として美濃に帰還を果たしますが、天文12年(1543年)に再び道三に攻められて敗走します。このとき頼純は越前国に亡命しますが、翌天文13年(1544年)9月、頼純は越前国の朝倉孝景と尾張国の織田信秀の支援を得て、再び美濃に向かって進撃しました。この頃には道三と頼芸の関係も不和となっていたようで、実質、道三が美濃国の支配者でした。そんな道三に対して、朝倉氏も織田氏も、「主君筋である土岐家を蔑ろにする美濃のマムシを討伐する」という大義名分が立ち、あわよくば、これを契機に美濃国を分捕ろうという思惑だったのでしょう。こうして起きたのが「加納口の戦い」です。


 『信長公記』によれば、織田信秀は9月3日に国中の兵を結集し、村々に火を放ちながら美濃へ侵攻。9月22日には道三の居城である稲葉山城の城下に入り、村々を焼き払いました。迎え討つ道三は早々に兵を引き、籠城の構えを見せます。籠城戦となると、稲葉山城は堅城であり、いたずらに城を攻めて兵を失うことを嫌った信秀は、夕方4時頃、いったん退却をはじめます。そして半分の兵が引き上げたところ、それを待っていたかのごとく稲葉山城から斎藤軍の軍勢が一気に押し寄せます。退却中だった織田軍はパニックとなり、大敗を喫しました。『信長公記』によると、織田軍は5000の戦死者を出したといい、その中には、弟の織田信康もいました。連れションの途中に討死したとは記されていませんが。


 「城に帰って寝るか!」


 ドラマの信秀のあの割り切り、いいですね。さすがは織田信長の父親です。道三の家老である長井九兵衛の書状によると、信秀は6、7人を連れただけで逃げ帰ったといいます。


 この「加納口の戦い」は天文13年(1544年)説天文16年(1547年)説があり、『定光寺年代記』は天文13年としており、『甫庵信長記』『享禄以来年代記』は天文16年説、『信長公記』に至っては年代が記されていません。上述した解説では天文13年説をベースに解説しましたが、ドラマでは、頼純と帰蝶が結婚している設定であることから、天文16年説を採っているようです。


麒麟がくる 第2話「道三の罠」 ~加納口の戦いと土岐頼純の暗殺~_e0158128_20252945.jpg その頼純ですが、天文15年(1546年)秋に頼芸・道三との間で和議が成立し、再び大桑城へ入城したといいます。その際、和議の条件として、頼芸の隠退と頼純の美濃守護職就任があったといいますが、たしかな史料はありません。次期守護職就任の約束を交わしただけで、実際に守護職に就くことはなかったとみる歴史家さんもいますが、ドラマでは、道三との会談で「守護の座に押し上げた」という台詞がありましたから、この時点で守護職に就いている設定だったようですね。また、このときの和議の証として、道三の娘が頼純に輿入れしたとされています。この娘というのが、のちに織田信長の正妻となる帰蝶(濃姫)ではないかという説があり、ドラマでもその説を採っていますが、これも、たしかな史料は存在しません。


 かくして美濃国守護となった頼純ですが、その1年後の天文16年(1547年)11月17日、頼純は突然、謎の死を遂げます。享年24。これもたしかな史料はないものの、おそらくは道三の手にかかって殺害されたのであろうと考えられています。ドラマでは、道三自らが点てたお茶に毒を盛っていましたね。あれって、伊右衛門?(笑) サントリーから抗議されるんじゃないですか?(笑)


 この時代の土岐氏っていうのは、史料が乏しくわからないことが多いんですよね。道三と頼芸に追放された頼武も、その後どうなったかはっきりしないし、頼芸も、道三といつまで蜜月な関係だったのか、道三にいつ追放されたのか、史料によって様々です。頼純に至っては、その名前すら色々あって定かではありません。土岐氏自体が、歴史のなかで、なんかフワッとした存在なんですよね。次週はようやく頼芸が出てくるようです。道三との絡み、楽しみですね。



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by sakanoueno-kumo | 2020-01-27 20:29 | 麒麟がくる | Trackback | Comments(0)  

麒麟がくる 第1話「光秀、西へ」 ~明智光秀の出自~

さて、2週遅れで令和2年(2020年)の大河ドラマ『麒麟がくる』が始まりました。いろいろありましたが、まずは初回放送に間に合わせてくれとことを感謝します。役者さんもさることながら、セットの再建や再編集など、スタッフさんの撮り直しにかかる労力はたいへんなものだったろうと想像します。昨今の働き方改革の影響で、テレビ局の制作などへの規制も厳しく制限されるようになったと聞きますしね(かつては、大河ドラマの現場スタッフは不眠不休が当たり前だったと聞きますが、今はそれができないとか)。第1話が撮り直し前と同じに仕上がったのか、あるいは、少し構成が変わってしまったのかはわかりませんが、とにかく、第1話を観ることができて安堵しています。


麒麟がくる 第1話「光秀、西へ」 ~明智光秀の出自~_e0158128_19245426.jpg さて、明智光秀を主人公とする物語ですが、その冒頭は、美濃国明智荘から始まります。現在でいえば岐阜県可児市瀬田にあたりますが、実は、明智光秀の出自については諸説あって定かではありません。ひとつは上述した岐阜県可児市瀬田で、ここにはいまは「明智」という地名は残っていませんが、かつては明智荘という荘園がありました。もうひとつの説は、現在も「明智」という地名が残る岐阜県恵那市明智町で、ここには現在も光秀ゆかりと伝わる史跡が数多くあります。また、別の説では、岐阜県山県市美山町説や、近江国の佐目の里(滋賀県犬上郡多賀町佐目)説もあります。そのなかで、いろんな根拠から最も多くの歴史家さんに支持されているのが可児市の明智荘説で、ドラマでもその説が採られていました。


 また、ドラマ中、光秀と母・お牧との会話のなかで、明智家は土岐源氏の一族であることがふれられていましたが、実は、これも諸説あるなかのひとつで、詳らかではありません。一般的には、土岐源氏の支流である明智氏の当主という認識が通説となっていますが、この説の出典は後世に書かれた『明智軍記』によるもので、同書は良質な史料とはいえず、この説を鵜呑みにすることはできません。土岐明智氏とはまったく無縁の地侍だったという説や、土岐明智氏の支流ではあるものの、よくいわれるような明智城主の子というような身分ではなく、もっと低い身分の明智氏だったという説もあります。となると、土岐氏に代わって美濃国主となった斎藤道三に仕えたという説も、これまた定かではありません。つまり、光秀の前半生というのは、ほとんどなんですね。


 そんな謎の男・光秀の物語ですから、その前半はほとんどフィクションになります。したがって、今話で京、堺を旅したという話も当然フィクション。ただ、何の脈略ない作り話というわけでもなく、そこにはちゃんと逸話が散りばめられていましたね。まずは鉄砲。光秀は鉄砲術の名手だったといわれ、後年、その技術と知識を織田信長から大いに重宝されたといいます。その鉄砲術をどこで身につけたのか。のちに光秀が身を寄せることになる福井県の称念寺の伝承によると、「堺で鉄砲を学んだ」と記されています。また、斎藤道三が鉄砲に興味を持ち、光秀に習熟するよう命じたという説も。ドラマでは逆に光秀が自己アピールしていましたが、ない話でもないのかなと。


麒麟がくる 第1話「光秀、西へ」 ~明智光秀の出自~_e0158128_19245940.jpg その鉄砲を買い付けに行った先で松永久秀に出会いましたね。のちに織田信長に仕え、同じく反旗を翻すことになるふたりが早くも顔合わせです。ここに荒木村重が加われば三者揃い踏みだったんですけどね(笑)。その久秀が光秀に対して、自分は光秀の主君である斎藤利政を尊敬しているといい、「一介の油売りから立身した父の代から、わずか二代で成り上がった天下一の人物」と絶賛します。ここで注目すべきは、「父子二代」というところ。かつては道三一代で一介の油売りから美濃国主まで成り上がったといわれ、司馬遼太郎『国盗り物語』をはじめ多くの物語でそのように描かれてきた道三でしたが、近年見つかった新史料により、油売りから美濃の侍になったのが道三の父で、その後、下剋上で国主となったのが道三という親子二代にわたっての国盗り物語が主流となっています。たった1枚の書状で通説は覆りました。今回のドラマでは、その新説に基づいて描かれるようですね。


 あと、最後に出てきた道三の娘・帰蝶こと濃姫ですが、勇ましく馬に乗って現れ、戦支度をする父・道三に対して「御陣に加えて欲しい」という帰蝶に対し、道三は「嫁に出した娘に加勢を頼むほど落ちぶれてはおらん!」と一蹴します。まあ、当然の応対ですが、ここで聞き逃してはならないのは、「嫁に出した娘」という台詞。のちに織田信長の正妻となる帰蝶ですが、あまり知られてはいませんが、帰蝶は信長と結婚する前に、美濃国守護・土岐頼芸の甥の土岐頼純輿入れしたという説があります。道三から見れば主筋となる土岐家への輿入れであることから、妾ではなく正妻の娘を輿入れさせたとみるべきで、この場合、正妻の小見の方を母とする帰蝶が輿入れしたのではないか、とする説です。とすれば、帰蝶は信長に嫁ぐときはバツイチだったということになりますね。この帰蝶バツイチ説は、これまでのドラマなどではあまり採られていません。ただ、帰蝶という女性については、光秀以上にが多く、その生年も死も、その名前すら定かではありません。今回の帰蝶は勇ましい女性のようですね。


 とにもかくにも、第1話はプロローグの回といってよく、物語は始まったばかりです。第1話を観た感じでは、久々に王道の大河ドラマが観れそうな予感。今後の展開が楽しみです。



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by sakanoueno-kumo | 2020-01-20 19:28 | 麒麟がくる | Trackback | Comments(6)  

麒麟がくる キャスト&プロローグ

 今年の大河ドラマは『麒麟がくる』ですね。主人公は明智光秀。言わずと知れた「本能寺の変」を引き起こした武将で、今まで数々の大河ドラマ作品で登場してきた人物ですが、そのほとんどが、英雄・織田信長弑逆した謀反人として描かれてきました。今回は、その永遠の敵役が主人公の物語です。「麒麟」とは、NHKのホームページによると、「王が仁のある政治を行うときに必ず現れるという聖なる獣」とあります。その「麒麟」に光秀を見立てたということでしょうか? あるいは、光秀が信長を討ち果たしたとき、「麒麟」が現れるのでしょうか? それとも・・・。


麒麟がくる キャスト&プロローグ_e0158128_20262053.jpg


 とにもかくにも、現在発表されているキャストを見てみましょう。


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明智家

明智光秀 ・・・・・・・長谷川博己

・・・・・・・石川さゆり

明智光安・・・・・・・西村まさ彦

藤田伝吾・・・・・・・徳重聡

美濃

斎藤家・土岐家

斎藤道三/利政・・・・・・・本木雅弘

斎藤義龍/高政・・・・・・・伊藤英明

帰蝶/濃姫・・・・・・・川口春奈

深芳野・・・・・・・南果歩

土岐頼芸・・・・・・・尾美としのり

稲葉良通/一鉄・・・・・・・村田雄浩

美濃の人々

菊丸・・・・・・・岡村隆史

煕子・・・・・・・木村文乃

尾張

織田家

織田信長・・・・・・・染谷将太

織田信秀・・・・・・・高橋克典

土田御前・・・・・・・檀れい

織田信勝・・・・・・・木村了

平手政秀・・・・・・・上杉祥三

その他の尾張の人物

藤吉郎(のちの羽柴秀吉)・・・・・・・佐々木蔵之介

京・畿内

足利将軍家・室町幕府

足利義輝・・・・・・・向井理

足利義昭・・・・・・・滝藤賢一

三淵藤英・・・・・・・谷原章介

細川藤孝/幽斎・・・・・・・眞島秀和

細川晴元・・・・・・・国広富之

三好長慶・・・・・・・山路和弘

京の人々

・・・・・・・門脇麦

望月東庵・・・・・・・堺正章

松永久秀・・・・・・・吉田鋼太郎

伊呂波太夫・・・・・・・尾野真千子

駿河

今川義元・・・・・・・片岡愛之助

太原雪斎・・・・・・・伊吹吾郎

三河

徳川家康・・・・・・・風間俊介(幼少期:岩田琉聖)

松平広忠・・・・・・・浅利陽介

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 明智光秀役は長谷川博己さんですね。そして、織田信長役が染谷将太さん。長谷川さんが現在42歳で、染谷さんが27歳ですから、その年の差は15歳と結構な開きがあります。が、実は明智光秀の正確な生年はわかっておらず、いろんな説があります。一般的に通説となっているのは、享禄元年(1528年)説で、この場合、本能寺の変のときは55歳、信長の6歳上となりますが、もっとも生年が早い説では、永正13年(1516年)説があり、この場合、本能寺の変のときは67歳、信長より18歳も年上になります。ちょうど長谷川さんと染谷さんぐらいの年の差ですね。今回のドラマの年齢設定はどうなのかはわかりませんが、いろんな説があるので、どうにでも解釈できます。


 明智光秀といえば、最大の見せ場は、やはりあのシーンですよね。「敵は本能寺にあり」を叫ぶシーンです。過去、数々の俳優さんがいろんなシチュエーションでこの台詞を発してきましたが、おそらく、光秀を演じられた俳優さんは、みなさん、配役が決まったときからこの台詞をどのように発するかを悩まれるんでしょうね。演出家さんや脚本家さんの意向とかもあるのでしょうが、光秀のいちばんの見せ場ですからね。この台詞のために他の場面があると言っても過言ではないかもしれません。今回は大河ドラマ主人公としてのこの台詞。どんなシーンとなるのか楽しみです。


 光秀のライバル・藤吉郎(のちの羽柴秀吉)は佐々木蔵之介さん。ちょっと背が高すぎで格好良すぎですね。秀吉はチビのサル顔でないと。「美濃の蝮」こと斎藤道三役は本木雅弘さん。これまたイケメンすぎます。松永久秀役を吉田鋼太郎が演じられるようですが、どちらかといえば、この人こそ蝮の道三にピッタリかな、と。土岐頼芸役の尾美としのりさんは想像出来すぎて笑っちゃいました。あと、足利義昭役の滝藤賢一も。


 女性陣でいえば、光秀の妻・煕子役は木村文乃さん。わたし、彼女のファンなんで、率直に楽しみです。あと、光秀の母・お牧役の石川さゆりさんはびっくりですね。お牧といえば、平成8年(1996年)の大河ドラマ『秀吉』のときの野際陽子さんが印象的です。八上城にされて槍で突き殺される壮絶なシーン、今回も描かれるのでしょうか?


 そして、なんと言っても注目なのが、帰蝶(濃姫)役の川口春奈さんですよね。沢尻エリカさんの不祥事によって年末ギリギリに代役に抜擢された川口さんですが、いろんな意見が飛び交っていましたが、わたしは応援したいと思います。過去、帰蝶(濃姫)役を演じて来られた女優さんは大女優さんばかりです。この代役をきっかけに大看板の女優さんになってほしいですね。応援しています。


「歴史は勝者が書く勝者の歴史である」といわれます。いつの時代も、勝者は自身の足跡を正当化するため、必ずといっていいほど敗者を貶めます。そのため、敗者は実像以上に悪人にされてしまうのが常で、その最たる例が明智光秀と言ってもいいでしょう。「信長を裏切った謀反人」「三日天下」といった後世の悪いイメージを、今回のドラマではどのように描くのでしょうか。あるいは、新しい光秀像が見られるかもしれません。楽しみです。



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by sakanoueno-kumo | 2020-01-07 01:23 | 麒麟がくる | Trackback | Comments(0)