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名将、野村克也さんのご逝去を悼む。

ノムさんこと野村克也さんが11日に亡くなられました。

昭和のプロ野球界を代表する名捕手として、そして、打者としては戦後初の3冠王など数々の記録を打ち立て、監督としては、南海、ヤクルト、阪神、楽天で指揮を執り、名将と評されたノムさん。

この3日間、テレビもラジオもネットも新聞も、メディアというメディアでノムさんの話題で持ちきりのようで、あらためて、その功績の偉大さだけでなく、存在の大きさを知らされています。


名将、野村克也さんのご逝去を悼む。_e0158128_21574023.jpg



わたしの住む神戸の地方紙、神戸新聞でも12日の朝刊は1面記事でした。

さすがに、神戸新聞の写真は阪神のユニフォーム姿ですね。

阪神ファンであるわたしとしても、やはり、阪神の監督時代のノムさんを思い出さずにはいられません。


長く低迷していた阪神を再建すべく電撃招聘されたノムさんでしたが、監督在任中の成績は3年連続最下位と振るいませんでした。

「阪神の監督を受けたのは失敗だった」というのがノムさんの晩年の口癖だったといいますが、一方で、野村監督の3年間があったから、その2年後のリーグ優勝があったという声も少なくありません(2003年の優勝監督となった星野仙一氏自身がそう語っておられましたね)。

その評価が正しいのかどうかは、素人のわたしにはわかりませんが、ただ、のちに監督となる和田豊氏、矢野燿大氏をはじめ、新庄剛志氏、桧山進次郎氏、赤星憲広氏、井川慶氏など、その後もノムさんを恩師と仰ぐ選手が大勢いたことを思えば、やはり、ノムさんが阪神に残した功績は大きかったといえるのかもしれません。


ノムさんの長いミーティングというのは有名ですが、阪神の監督となって初めてのミーティングのとき、マスコミの取材に対して「監督が変わっても僕たちのやることは変わらない」と発言した当時の選手会長・和田豊選手に対し、「監督が変わっても選手が変わらないと強くはならない。君のようなチームリーダーがそんな考えだから、チームが低迷したままなんだ!」と、名指しで叱責したというエピソードは有名ですね。

以後、和田選手は自身の考えを改め、シーズンに入ってからもベンチではずっとノムさんの近くに座ってノムさんのボヤキに耳を傾けていたと。

これは、おそらく、和田選手が真面目で実直なチームリーダーだと見越した上で、あえて槍玉に挙げてチームを引き締めたんでしょうね。

野村流人心掌握術といえるでしょうか。


かと思えば、当初、誰もがノムさんのID野球と相性が合わないだろうと予想していた新庄剛志選手が、意外にもノムさんの元で花を咲かせたことは驚きでしたね。

天才肌の選手にありがちな気まぐれなところのある新庄選手でしたから、絶対ノムさんと衝突すると誰もが思っていましたが、そこは老練なノムさん、新庄選手ような選手の扱いを心得ていましたね。

いきなり新庄に投手をやらせるという斬新な手段は賛否両論でしたが、あれは真剣だったのか話題づくりだったのか、その真意はわかりませんが、あれがキッカケとなって新庄選手が打者として飛躍したのは確かです。

この度の訃報を受けて新庄氏は自身のインスタで、「宇宙人の名付け親」を冒頭に、「新庄お前はファンに愛される カッコつけて野球をやればええんや 選手に自由に野球をやりなさいって指導したのはお前だけや」といわれたというエピソードを紹介していました。

その選手によって指導法を変える。

これも、野村流人心掌握術なのかもしれません。


監督就任1年目のシーズンが最下位に終わったあと、ノムさんは全選手に反省文を書かせたそうです。

そして、それを丁寧に読み込んだ上で、一人ひとりの選手に対して、その反省文に対する所感と、来季に向けてどうすべきかの課題を書いて返したそうです。

ほとんど学校の先生ですね。

そのなかで、本人の反省文より長い返答を返されたのが、桧山進次郎選手だったそうです。

それまで、本塁打は打つものの低打率で三振も多かった桧山選手が、2年後の2001年には4番を任されて打率3割をクリア。

本塁打こそ減ったものの、中距離打者としての地位を確立しました。

桧山氏も、この度の訃報を受けて感謝の言葉を送っておられましたね。


もちろん、皆が皆、ノムさんを慕っていたわけではありません。

ノムさんが監督になったおかげで日の目を見た選手もいれば、逆に日陰に回された選手もいました。

今岡誠選手や大豊泰昭選手がそうでしたね。

今岡氏などは、いまでもノムさんのことを批判し続けています。

でも、それも仕方がないでしょうね。

誰からも慕われる指揮官なんて、長嶋茂雄さんぐらいじゃないでしょうか?


ノムさんの野球は、データ重視のID野球と言われましたが、かと言って、V9時代の川上哲治監督のように、大差で勝っていても送りバントというような面白みのない野球では決してありませんでした。

阪神の監督時代は結果的に3年連続最下位だったにせよ、それまでの阪神暗黒時代と違って、面白い話題が多かった。

新庄の投手起用にはじまり、赤星憲広選手、藤本淳史選手をはじめ俊足選手7人のF1セブン」遠山奬志投手と葛西稔投手をピッチャーとファースト間でスイッチ起用した「遠山・葛西スペシャル」など、最下位でも印象に残っている名場面がたくさんあります。

その最たる例が、新庄選手の敬遠球サヨナラ打でしょう。

もはや伝説となったサヨナラ打ですが、これも、川上監督だったら絶対許されなかったでしょうね。

いま思い出しても、野村阪神の3年間は、面白かった。

のちに楽天の監督となったノムさんが、交流戦甲子園に来たとき、阪神ファンが大歓声で迎えたことを思えば、あの3年間が無駄だったと思っている阪神ファンはいないんじゃないでしょうか。

それだけに、晩年、「阪神の監督を受けたのは失敗だった」と語っておられたというのは、阪神ファンとしては悲しい限りです。


ノムさんのID野球というのは、決してデータがすべてという考えではなく、データを材料に「考える野球」をしろということですよね。

孫子の兵法にも「敵を知り己を知れば百戦殆からず」とあるように、勝つために情報を揃えて頭を使うのは当然のことなんですよね。

ノムさんのID野球というのは、わたしは一種の哲学だと思います。

だから、多くの人の心を動かす名言が生まれたのでしょう。

ノムさんの残した名言は数え切れないほどありますが、いちばん心に残っているのはこれです。


「どうするか」を考えない人に、「どうなるか」は見えない。


どんなときも問題意識を持ってのぞめってことですよね。

「考える野球」を提唱し続けたノムさんらしい言葉です。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

合掌。



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by sakanoueno-kumo | 2020-02-13 22:02 | プロ野球 | Trackback | Comments(0)  

戦後70年、創設100周年記念高校野球大会の選手宣誓に感涙。

今年の夏の高校野球「第97回全国高校野球選手権大会」は、創設100周年記念大会となる節目の開催ですが、同時に今年は、戦後70年の節目の年でもあります。
そして今日、奇しくも70回目の広島原爆記念日でもある8月6日、全国大会の開会式が甲子園球場で行われました。
今年の選手宣誓は、100年前の第1回大会の優勝校である鳥羽高校(100年前は京都二中)の梅谷成悟主将が行いましたが、その内容があまりにも素晴らしかったので、勝手ながら、ここに全文掲載させていただきます。

「1915年8月、第1回全国中等学校優勝野球大会が始まりました。
それから100年間、高校野球は日本の歴史とともに歩んできました。
この100年、日本は激動と困難を乗り越えて、今日の平和を成し遂げました。
このような節目の年に聖地甲子園で野球ができることを誇りに思い、そして支えていただいた全ての方々に感謝し、全力でプレーをします。
次の100年を担う者として、8月6日の意味を深く胸に刻み、甲子園で躍動することを誓います。」


梅谷くん本人が考えたのか、あるいは周りの大人が考えたのか、でもこの際そんなことはどうでもいい。
この素晴らしい宣誓に関わったすべての人に敬意を表します。
また、このような宣誓ができる平和な日本を作ってきた先人たちに感謝します。

いま、日本の安全保障政策は、大きな転換期を迎えようとしています。
安倍内閣が憲法解釈を変えてまでのぞんだ安保関連法案は衆議院を通過し、成立はほぼ確実。
安倍晋三首相の本丸である改憲への世間の関心も、にわかに高まっています。
日本は、着々と「普通の国」になろうとしています(「普通の国」とは、自国を自国軍で守れる国ということで、つまり、戦争ができる国ということ)。
そんな殺伐とした世相のなか、われわれ大人たちは今日の高校球児の宣誓を、もう一度、一言一句、深く胸に刻みこみ、なぜ今日、彼がこの内容の宣誓をしたのかを、いま一度考えてみる機会ではないでしょうか?
彼の宣誓は、大人たちへの問題提起なんじゃないかと・・・。
いちばん考えてほしいのは、安倍さんですけどね。

今大会は創設100周年記念大会ですが、「第101回」ではなく「第97回」です。
なぜ「第97回」なのかを思い、そして、未来永劫、ずっとマイナス4であり続けるにはどうすればよいか、彼が言う次の100年を担う者のひとりとして、真剣に考えるべきだと感じました。
今日の宣誓はほんとうに感動しました。


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by sakanoueno-kumo | 2015-08-06 20:35 | 高校野球 | Trackback | Comments(0)  

憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認に思う、未来の戦前責任。

先般、安倍晋三内閣が臨時閣議を開き、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更を決定しましたね。
これにより、「専守防衛」を堅持してきた戦後日本の安全保障政策は、大きく変わることになります。
まさに、ここが日本の歴史的転換点といえるでしょう。

集団的自衛権云々については、さまざまな意見があるでしょうし、たいへんデリケートな問題でもあるので、わたしの浅薄な知識で軽はずみな私見を述べることは控えますが、ただ、このたびの安倍内閣のやり方については、少なからず不安を感じざるを得ません。
憲法の解釈変更によって法律が変えられるのであれば、それはもはや立憲主義の崩壊といえるのではないでしょうか。
そもそも立憲主義とは、国民個々の自由と権利を守るため、憲法で権力者を拘束するためのものです。
その権力者が権力を使って憲法の解釈を変えるというのは、明らかに本末転倒でしょう。
一昨日より「暴挙」という言葉が飛び交っていますが、決して大げさではないと思います。

安部首相は記者会見で、
「海外派兵は一般に許されないとの原則は全く変わらない。日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなる」
「自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」

と言っていましたが、あるいは安倍政権のあいだはそうかもしれませんが、このたび安倍内閣が憲法解釈の変更を断行したように、10年後、20年後の政権が、集団的自衛権を拡大解釈することだってあり得るわけです。
かつて天皇陛下の統帥権を関東軍が拡大解釈したことにより、何が起こったかを思い出してください。
解釈の変更とは、そういうことです。

予算案や増税案など、ときには強行採決を必要とする事案もあるでしょう。
世論がすべて正しいというわけではありません。
しかし、それらと安全保障政策を同じように考えてはならないんじゃないでしょうか。
国の根幹に関わる問題ですから。
どんなに険しい道でも、国民投票、改憲の順序を踏むべきだったでしょうし、それで国民の理解を得られないようであれば、それが「この国のかたち」だということです。
国のかたちを変えるというのは、容易ではありません。
高い支持率を武器に強行採決していい問題では決してないと思います。

政府与党の多くの先生方が挙って崇拝する故・司馬遼太郎氏は、晩年の対談集内で、現憲法について次のように語っています。
「押しつけとかいろいろ悪口いう人もいますが、できた当時・・・自分が生きているあいだにこんないい憲法ができるとは思わなかった、と感じました。今でもその気持は変わっていません」
また、90年代に入って改憲論「普通の国」論が強まりはじめたことに対しても、司馬氏は次のように述べられています(「普通の国」とは、普通に軍隊を持って自国を自軍で守れる国ということ)。
「わたしは『普通の国』などにはならないほうがいいと思っています。」
「日本が特殊の国なら、他の国にもそれを及ぼせばいいのではないかと思います。」
「ぼくらは戦後に『ああ、いい国になったわい』と思ったところから出発しているんですから、しかも理想が好きな国なんですから、せっかくの理想の旗をもう少しくっきりさせましょう、といえばいいんです」
(『日本人の器量を問う』=『司馬遼太郎対話選集・四』)


司馬氏が、決して左寄りな思想の持ち主でないことは周知のところだと思います。
その司馬氏ですら、このように述べられていることを思えば、戦争経験のある世代の方々の憲法観というものを感じ取ることができるような気がします。
わたしたち戦後生まれの世代には、先の戦争責任はありません。
しかし、未来に起こるかもしれない戦前責任は、わたしたちにある・・・ということを、国民ひとりひとりが肝に銘じていかねばならないでしょう。
将来、この安倍内閣の決定を「英断」と評しているか「暴挙」としているか、見てみたいものです。
それ以前に、日本という国がなくなっていないことを願うばかりです。


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by sakanoueno-kumo | 2014-07-03 16:15 | 政治 | Trackback | Comments(4)  

鉄人・金本知憲選手が引退。~今日しか来られないファンのために~

阪神タイガースの鉄人・金本知憲選手が引退しましたね。
残念ながら仕事が忙しかったため、引退試合の中継をリアルタイムで観ることはできませんでしたが、私は阪神電車で通勤しており、残業を終えて帰宅の途につくため電車に乗り込むと、背番号「6」のタテジマのユニフォームやハッピを着た甲子園球場帰りの大勢の阪神ファンたちと乗り合わせ、それを見て思い出しました。
あぁそっか、そういえば今日が引退試合だったんだ・・・と
で、23時過ぎに帰宅してからすべてのチャンネルのスポーツニュースをハシゴし、さらに深夜に放送していた金本選手引退記念特番を観て、こんな時間になっちゃいました(ただいま深夜2時半)。

スタメン4番レフトで出場した引退試合は、4打数1安打1盗塁
残念ながら期待されたホームランや長嶋茂雄氏の記録にあと1と迫っていた打点は叶いませんでしたが、トリプルスリーを達成した広島カープ時代を彷彿させる抜群のスタートの盗塁や、ホームタッチアウトにはなったものの2塁からの全力疾走した姿は、常に全力プレーにこだわっていた金本選手らしい引退試合だったといえるのではないでしょうか。

そして引退セレモニー。
平易な言葉で、肩肘をはらずに、カッコつけずに、いかにも金本選手らしい挨拶でしたね。
「野球の神様、ありがとう!」
古い野球ファンなら周知のことですが、金本選手は入団当初から将来を嘱望されたエリート選手ではありませんでしたし、レギュラーに定着する道のりも決して速くはありませんでした。
彼がこれほどまでの実績を残す選手に成長するとは、当初はほとんどの人が思ってなかったでしょうし、金本選手本人も思ってなかったんじゃないでしょうか。
その意味での、「野球の神様、ありがとう!」だったのでしょうね。
金本選手の実直で真摯な人柄が満ちた言葉だったと思います。

金本選手の通算成績は2578試合に出場し、歴代7位となる2539安打歴代8位となる1521打点、それにホームランは歴代10位となる476本でした。
1492試合連続フルイニング出場の世界記録は今さら語るまでもないでしょうし、自身が引退発表会見のときに最も誇りに思うと語っていた1002試合連続無併殺という日本記録も、おそらくそう簡単に破られることはないでしょう。
まぎれもなく日本プロ野球史に燦然と輝く大打者となった金本選手ですが、彼の魅力はそういった数字の記録よりも、野球に対するひたむきさストイックな姿勢にあると思いますし、そこが後輩選手たちからリスペクトされるところですよね。
144試合のうち1試合たりとも手を抜かない・・・。
なぜそこまで金本選手が全力プレーにこだわるのか・・・最後に、彼の著書『覚悟のすすめ』の中から引用します。

「一年のうち今日しか来られないファンもいる。僕はそういう人のためにフルイニング出場を続けるんです。」

金本選手、あなたはまぎれもなくプロ中のプロでした。
21年間、お疲れさまでした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121009-00000007-spnavi-base


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by sakanoueno-kumo | 2012-10-10 03:09 | プロ野球 | Trackback | Comments(2)  

イチロー選手のヤンキース移籍に見る、イチロー流ルーティン法。

イチロー選手がニューヨーク・ヤンキースに移籍したそうですね。
MLBに渡って11年余り、幾度となく移籍の噂はあったものの、ずっとシアトル・マリナーズ一筋できた彼だっただけに、このシーズン途中での突然の移籍は驚きの一言です。
それも、イチロー選手自身の希望だとか。
2007年にマリナーズと5年契約122億円とも言われる条件で再契約したイチロー選手でしたが、たしかその当時も、破格の条件でヤンキースへ移籍といった報道が盛んにあったと記憶しています。
「なぜもっと強いチームに移籍しないのか?」
「移籍市場に名乗りを上げればもっと高い報酬を得ることができるのでは?」

といった巷の声に耳を傾ける素振りも見せず、これまで頑なにマリナーズを離れなかったイチロー選手が、なぜこのタイミングで移籍を希望したのでしょう。

イチロー選手がこれまでマリナーズを動かなかった理由は、マリナーズを愛しているからとかシアトルが好きだからといった感情的なものではないと思いますし、また、アンチの人がよく言うような、個人プレーに徹しやすい環境だからといった打算的なものでもなく、イチロー選手なりの“こだわり”だったんじゃないかと思います。
おそらく、上手くいっているときのリズムを変えたくなかったんじゃないかと・・・。

イチロー選手は試合のとき、ネクストバッターズサークルからバッターボックスに入り投手と向かい合うまで、いつも同じ動作に徹していますが、これはいわゆる“ゲン担ぎ”的な意味だけではなく、同じリズムを作ることで心身ともに自分の型を作っていくというひとつのプロフェッショナルな手段です。
いわゆる“ルーティン”というやつですね。
これはイチロー選手だけの特別なやり方というわけではなく、ルーティンを取り入れているスポーツ選手は珍しくありません。
有名なところでは、ゴルフのタイガー・ウッズ選手などもこの方法を取り入れており、どれだけプレッシャーがかかった場面でも毎回同じルーティンをこなします。
一流のアスリートにとって、リズムは大切なものだというのはわかるような気がしますね。
ただ、イチロー選手の場合、その徹底ぶりはグラウンド内に留まらず、毎日同じ時間に起床して、同じ時間に食事をとり、同じ時間に家を出て、同じ時間に球場に入り、同じアップメニューをこなして、同じ時間にユンケルを飲んで(笑)、同じ状態で試合に臨むといった徹底ぶりで、1日の生活すべてがルーティン化されているそうです。
彼が渡米してからずっと、ほぼ毎日奥さんの作るカレーを食べているという話は有名ですよね。
よく飽きないものだと思ってしまいますが、毎日同じ行動をすることで、自分の身体のほんの僅かな変調にも気づくことができるというメリットもあるのだとか。
「僕は朝、家を出てからグラウンドに上がるまですべて行動が決まっているんです。それをひとつひとつこなしていくうちに鈴木一朗からイチローへと切り替わっていくんです。」
何年か前の「NHKプロフェッショナル仕事の流儀」に出演したときの彼の言葉ですが、そうやって徹底的に自己管理してきたことが、数々の金字塔を打ち立ててきた秘訣なんでしょうね。

また、イチロー選手は毎年、1年の始まりはいつも神戸にある古巣オリックスの室内練習場での自主トレからスタートしますよね。
ほとんどのプロ野球選手が一流になるとハワイグアムなどで自主トレを開始するなかで、イチロー選手は今でも頑なにルーキー時代と同じスタイルを貫いています。
これもおそらく彼なりのリズム、いわゆるルーティンなんでしょうね。
この頑固さは誰にも真似できません。

ツラツラと述べてきましたが、つまり、イチロー選手がずっとマリナーズから出なかったのは、彼のこだわるルーティンだったと思うんですね。
上手くいっているときのリズムを変えたくないという・・・。
そんなイチロー選手が、この度自ら移籍を希望した理由・・・それは言うまでもなく“上手くいかなくなった”からでしょう。
昨シーズン、10年続けていた200本安打が途切れましたが、それ以外にも、打率・出塁率ともに自己ワーストイヤーとなりOPSも急落、起死回生で臨んだ今シーズンも、これまで思うような結果が残せていません。
ここに来て、さすがのイチロー選手も加齢による衰えには逆らえない・・・といった声もにわかに聞こえ始めました。
「環境を変えて刺激を求めたい、という強い思いが芽生えた。」
移籍発表の記者会見の席でイチロー選手はこう述べていましたが、これはおそらく、現状上手くいっていないリズムを変え、新しいルーティンを求めた言葉だと思います。
とはいえ、これまで生活すべてをルーティン化してきたイチロー選手ですから、そのリズムを変えるというのは、たいへん勇気のいる決断だったことでしょう。
今回の移籍、ぜひともいい結果に結びついてほしいですね。

「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道」
2004年、メジャー年間最多安打記録を84年ぶりに更新したときのイチロー選手の言葉です。
あれから8年が過ぎたとはいえ、まだまだ38歳、もうひと踏ん張り出来る歳だと思います。
ここで一旦リセットして、改めてヤンキースのイチロー選手として小さいことを重ね、もう一度とんでもないところに行って欲しいですね。


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by sakanoueno-kumo | 2012-07-24 20:52 | プロ野球 | Trackback(1) | Comments(2)  

光市母子殺害事件の終結に思う、犯罪が起こった時点で、皆、敗者。

今週、山口県光市母子殺害事件の差し戻し上告審で被告側の上告が棄却され、犯行当時18歳1ヵ月だった元少年の死刑が確定、事件発生から13年という長きに渡って審議されてきた同事件の裁判は、一応の決着を見たようです。
私はこの判決の是非について語れるほどの材料を持ちあわせていないので、ここで軽々に私見を述べるのは控えますが、心情的には大方の皆さんと同じ思いです。
ただ、決着といっても亡くなった方の命が戻ってくるわけもなく、この種の事件はおそらくどんな判決が下ったとしても、「これにて一件落着」といったスッキリとする着地点などあり得ないものなのでしょうね。
それはまさしく、遺族の本村洋さんが記者会見で語っておられた、
「この判決に勝者なんていない。犯罪が起こった時点で、みんな敗者だ」
という言葉が、何より言い得ているように思います。

それにしても、理路整然とマスコミに応対する本村洋さんの会見を見ていると、13年の歳月とその間に交わされた議論の厚みを感じずにはいられません。
彼の魂のこもった弁舌に、私はこの13年間しばしば感動させられてきました。
思い出されるのは、たしか第一審で無期懲役の判決が下ったときだったと思いますが、「ニュースステーション」に出演されて発言された言葉。
「司法が彼を死刑にしないのなら、今すぐ彼を釈放してほしい。私がこの手で殺します。」
と、愛する者の命を奪われた遺族としての悲痛な胸のうちを晒したあと、
「死刑は廃止してはならないと思います。死刑の意味は、殺人の罪を犯した人間が、自らの罪と向き合い、犯行を悔い、心から反省をして、許されれば残りの人生を贖罪と社会貢献に捧げようと決心して、そこまで純粋で真面目な人間に生まれ変わったのに、その生まれ変わった人間の命を社会が残酷に奪い取ることです。その非業さと残酷さを思い知ることで等価だという真実の裏返しで、初めて奪われた人の命の重さと尊さを知る、人の命の尊厳を社会が知る、だから死刑が存在する意義があると思うのです。」
といった内容の持論を語られていました(ネット上で探して参照したものですので、一字一句正確ではありません)。
単に犯人へ向けた憎悪の言葉ではなく、論理的で、哲学的で、社会の中の命の尊厳命の価値にまで踏み込んだこの刑罰論を、たかだか24・5歳の若者が語る姿に、あの久米宏さんが言葉を失って聞き入っていたのを今でも覚えています。
もともと頭がよく弁の立つ方ではあったのでしょうが、もし、このような事件に遭遇していなければ、また、あらゆるテクニックを駆使して死刑判決を回避しようとする弁護団がいなければ、この難しい問題についてここまでの意見を持ち得ることもなかったでしょう。
彼でなければ、この事件がここまで世間の注目を浴びることもなかったかもしれません。
もちろん、ご本人はこのように称賛されることを望んではいなかったでしょうが・・・。

死刑確定後の先日の会見で本村さんは、「事件からずっと死刑を科すことを考え、悩んだ13年間だった。」と言っておられましたね。
また、「反省の情があれば死刑にならなかったと思う。」とも・・・。
かつては「万死に値する」とまで訴えていた彼の毅然とした主張からみれば、少々トーンダウンした最後の会見でした。
でも、それもまた自然な胸の内なんでしょうね。
これまで信念を持って戦ってきたものの、いざ望みが叶ったとき、今度は本当にこれでよかったのかと自問自答する。
これはいたって正直な心境だと思いますし、人間らしい感情だと思います。
たとえ極悪非道な殺人鬼の命であっても、いざその命を奪うとなると、決して心穏やかではいられない、つまりは、彼がずっと訴えてきたとおり、それだけ人の命とは重いものだということでしょう。
このたび死刑囚となった元少年にも、死ぬ前にそのことを噛み締めてほしいと思います。
君のような外道の命でも、その命を生かすか殺すかで13年もの長い年月を費やし議論され、悩み苦しんだ人たちがいるんだよ・・・と。

最後に、この13年間の締めくくりといってもいい先日の会見での本村さんの言葉を記します。
「判決は被告のものだけでなく、被害者遺族、何よりも社会に対して裁判所が言っていること。少年であっても身勝手な理由で人を殺害したら死刑を科すという強い価値規範を社会に示したことを社会全体で受け止めてもらいたい。私も極刑を求めてきたものとして厳粛に受け止める。」

あらためて、13年前に亡くなられたお二人のご冥福を心よりお祈りします。
そして、本村洋さんの今後の人生が穏やかであるよう願っています。


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by sakanoueno-kumo | 2012-02-22 16:17 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)  

江~姫たちの戦国~ 総評

 2011年のNHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』が終わって1ヵ月以上が過ぎてしまいました。毎年、最終回のあとに締めくくりとして“総評”のレビューを起稿していたのですが、昨年の11月から12月にかけて例年になく多忙を極めていたため時間がとれず、そうこうしているうちにNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』が始まってそちらのレビューに追われる12月となり、気がつけば最終回から随分と時間が経ってしまっていて、「もう、いいっか!」と思っていたのですが、先日、今年の大河ドラマ『平清盛』の第1話のレビューを投稿したあと、そのまま放置状態になっている『江』ことが気になりはじめ、やはりちゃんと落とし前は着けておこうと思い至りました。今さら、ではありますが、少しばかりお付き合いください。

 大河ドラマ50作目の節目として臨んだ作品でしたが、巷では放送開始早々からかなりの酷評が飛び交っていましたよね。史実云々という毎年お決まりの批判はもちろん、主人公・お江の幼少期を上野樹里さんが演じたことによる矛盾や、大河ドラマらしからぬ台詞や演出などについて、「ファンタジー大河」などと揶揄する声も少なくありませんでした。そんな中、私はそういった声に惑わされないように幼稚な酷評ブログなどは読まないようにし、当ブログではできるだけ肯定的なレビューに徹してきました。大河ドラマファンや歴史フリークを自称する人たちにとって、批判するのは簡単なことです。しかし、一旦批判に走りだすと、批判するための粗探しでしかドラマを観れなくなります。自分で自分に先入観を与えて、無理に面白くなくなるよう視聴しているようなもので、ただでさえ忙しい日曜日の夜を、そんなくだらない時間に使いたくはない。せっかく観るんだから楽しみたいじゃないですか。でも、大河は1年間という長丁場で、楽しむには観る側にもそれなりの根気が必要です。途中で、「このドラマ面白くない」と思ってしまったらもう続きません。だから、私はできるだけ途中での批判はしたくはないんです。ただ、全てを観終えた今なら、正直な感想を言ってもいいだろう、というわけで、ここからは言いたいことをいわせていただきます。

 まず、今までも何度か申し上げてきましたが、私は史実との相違云々について批判するのは好きではありません。そもそも史実とは歴史の断片に過ぎません。その断片を繋ぎあわせて見えてくるのが「史観」であり、そこには当然、見る人の主観が入りますから様々な解釈が生まれます。さらに、そこに想像の世界を肉付けしたものが、小説であったりドラマであったりするわけで、いろんな視点の物語があって当然でしょう。それを、重箱の隅をつつくように「史実と違う!」と揚げ足を取る批判にはウンザリしますし、そういった声を発する人というのは、大概は浅薄な知識をひけらかしたいだけの人で、本当に歴史が好きな人ではないと思っています。それでは、節操無く創作してかまわないのか、という意見になりますが、そこは一般通常人としての常識の範囲内か否か、ということになるでしょう。作り手のセンスが問われるところでもありますね。私は、この『江』がこれまでの大河ドラマに比べて特に創作範囲が多かったとは思いません。過去、名作といわれる作品でも、フィクション性の強いものもあります。史実との相違云々については、どの作品も大同小異ではないでしょうか。

 次に、現代の価値観で歴史ドラマを描くな、という意見があります。これも、今回の作品に限らず聞こえてくる声ですが、とりわけこの『江』に対してはこの批判の声が多かったように思います。たしかに、戦国時代の女性らしからぬ言動や行動が多々見られ、私も少々眉をしかめる場面もありましたが、では、戦国女性の価値観とはどのようなものでしょう。おそらく、正確に答えられる人はいないんじゃないでしょうか。よく、昔の大河ドラマファンの人で、「戦国武将とはこうだ!」などと言い切る人がいますが、大きな勘違いだと私は思います。それは結局、昭和の時代に描かれた昭和の価値観の戦国武将の姿に過ぎません。歴史とは、その歴史を見る時代の価値観によって、いかようにも変わるものだと思います。たとえば、豊臣秀吉像を例にいえば、戦前と戦後、昭和と平成でもずいぶんと描かれ方が変わってきてますよね。昔は、「今太閤」なんて言葉もあったように、立身出世の象徴として英雄のように描かれることが多かった秀吉ですが、現代ではどちらかと言えばダーティーな部分が強調されることが多くなりました。これはまさに、昭和と平成の時代背景の違いからくる価値観の違いといえるでしょう。

 イギリスの歴史家E.H.カーの言葉に、「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である」というものがあります。歴史を書いたのは後世の歴史家であり、ゆえに、歴史は歴史家を離れては存在しない。その歴史家の生きた時代背景、思想、宗教などにすべからく影響している、ということ。つまり歴史解釈とは、後世の価値観によって変わるもので、歴史ドラマや小説などは尚更でしょう。あとは、その価値観に共感できるか否かで、「これこそが戦国の価値観だ!」などと断定できるような不変の歴史など存在しないと私は思います。

 あと、女性目線のドラマという声もありますが、これについては私も否定はしません。2002年の『利家とまつ』のヒット以降、どうも、女性ファンを意識した作品が増えた観は否めませんね。ひと昔前までは、朝のNHK連続テレビ小説が女性向けのドラマで、大河ドラマはわれわれオッサン向けのものだったと思うのですが、この辺りは世の流れには逆らえないといったところでしょうか。ただ、それ以前に女性目線の作品がまったくなかったかといえば、そうでもないんですね。先日、大河ドラマアーカイブで放送していたのをたまたま観たのですが、大河創成期の1967年に製作された『三姉妹』という作品は、幕末の時代を女性目線で描いた作品で、しかも主人公の三姉妹は架空の人物だそうです。そんな昔に女性目線の大河作品があったというのも意外でしたし、主人公が架空の人物という設定にも驚きました。女性目線となると、どうしても戦のシーンが少なくなりますし、色恋話が多くなります。しかし、それでも私は、2008年の『篤姫』などは名作だと思っていますし、女性目線の作品だからダメという意見は違うように思います。要は、好むか好まざるかではないでしょうか。

 では、私にとって『江〜姫たちの戦国〜』はどうだったか・・・。残念ながら失敗作だと思っています。その理由は、ファンタジー大河だからでも現代価値観だからでも女性目線だからでもありません。単純に、ストーリーが面白くなかった・・・理由はそれだけです。一生懸命、いいところを見つけようと頑張りましたが、最後まで見つけることができませんでした。1話1話でいえば、面白い回もあったのですが、全体で見れば何も印象に残っていない・・・というのが正直な感想です。上述したように、私は2008年の『篤姫』を高く評価しています。その『篤姫』と同じ田渕久美子さんの作品ということで期待していたのですが、見事に期待を裏切られましたね。同じ作者とはとても思えない内容でした。

 まず、お江という女性を通して、何が描きたかったのかさっぱり伝わってきませんでした。『姫たちの戦国』というサブタイトルですから、彼女たち三姉妹を通して通常の戦国史とは違った女たちの戦国物語が描かれるのかと思っていたのですが、結局は既成の秀吉、家康の物語に過ぎず、お江という女性を主役にした意味もわかりませんでした。『篤姫』では、天璋院篤姫という女性に「大奥を閉じる役割を与えられた女性」という意味を見出し、物語全体を通して「歴史上の役割」というテーマを描き、それが最後までブレませんでした。見事な設定だったと思います。だから、創作部分も多く史実歪曲といった批判の声を受けながらも、『篤姫』は多くの人に支持されたのでしょう。

 『江』のテーマとは、いったい何だったんでしょう。父の顔を知らずに育ったお江は、幼少期に叔父である織田信長を父のように慕い、その後の人生に大きな影響を受けた・・・この部分も「そんな事実はない!」といった無粋な批判が多かったようですが、私はこの発想は良かったと思います。問題はその後。信長から受け継いだ思想は「思うがままに生きよ!」・・・正直???ですよね。『篤姫』の「歴史上の役割」という、非常に具体的でしかも深いテーマとは違い、なんとも具体性に乏しく浅いテーマ。別に信長である必要性も感じられません。事実、その後の物語とこのテーマがさほどリンクしません。作者はいったい何が描きたかったのでしょう。

 二度の落城により父と母を失った浅井三姉妹は、時の権力者たちに人生を翻弄され、波乱に満ちた生涯を送る。そんな中、天下人の想い人となり、その子を生みながらも歴史の中に葬り去られてしまった長女・お茶々と、三度の結婚を重ねながらも最後は将軍家御台所となり、浅井家織田家の血脈を将軍家のみならず天皇家にまで繋げ、歴史上に大きな存在感を残した三女・お江。同じ境遇にありながら両極に対峙してしまった姉妹の運命。こうして考えてみても、もっと面白いストーリーがいかようにも作れたんじゃないでしょうか。これだけいい素材でありながら、テーマも浅ければストーリーも軽薄で意味不明、何度もいいますが、『篤姫』と同じ作者だとはとても思えない作品でした。

 なぜそうなってしまったか・・・と考えたときに、私は作者である田渕さんの歴史に対する知識不足が要因だと思いました。詳しくは知りませんが、おそらくこの方は戦国時代にも、というか歴史そのものをあまり知らず、執筆依頼があってからにわか知識を放り込み、その程度の知識で作品を書かれたんじゃないでしょうか。だとしたら、依頼したNHKも依頼を受けた田渕さんも大失態ですし、重罪ですね。歴史ドラマを嘗めていたとしか思えません。上述したように、私は史実云々を批判するのは嫌いですし、物語である以上、フィクションは当然だと思っています。ですがそれは、作り手のセンスが問われるところだとも言いました。歴史に不勉強な人が歴史ドラマを書くと、フィクションも的外れでトンチンカンなものになると私は思います。ピカソは、写実画を極めた上であの画風に行き着いたのです。デッサン力のない者が抽象画を書いても、ただの下手な絵でしかありません。歴史をしっかりと勉強した人にしかフィクションの歴史は書けないのではないでしょうか。

 『篤姫』が成功したのは、宮尾登美子さんの原作小説がちゃんとあって、田渕さんはあくまで脚本家としての執筆だったからではないでしょうか。私はその原作を読んでないのでわかりませんが、読んだ人にいわせれば、原型を留めてなかったとも聞きます。ですが、それでもベースとなる原作はあった。ここ数年、ドラマのための書き下ろし作品がずっと続いてますよね。しかし残念ながら、そのどれもが良い作品だとは言い難いものばかりです。私は物書きのシステムがよくわかりませんが、想像するに、おそらくドラマのための書き下ろし作品というのは、主人公となる人物が先に決まっていて、そのあと作家さんに依頼するものなんじゃないでしょうか。しかも、最初からドラマの尺を意識して物語が構成される。それに対して小説の場合は、そういう縛りが一切ない。小説家が書きたい題材を十分な準備のもとに執筆するものだと思います。逆にいえば、その小説をドラマに作りなおす脚本家さんというのは、ある意味小説家以上の職人技とも言えるように思えますが、脚本家が原作を書き下ろすというのは、歴史ドラマの場合難しいんじゃないでしょうか。やっぱり餅は餅屋です。『篤姫』と『江~姫たちの戦国〜』という田渕さんの2作品のあまりの出来の違いから見て、そういう結論に落ち着かざるを得ません。

 NHKも田渕さんも、おそらく今回の作品が名作だとは思っていないでしょうし、駄作を作ってしまったことに気がついているはずです(気づいていなければ救いようのないKYです)。この失敗を教訓に、今後の作品に生かしていって欲しいと切に願います。最後の最後に、かなり辛口のレビューとなってしまいました。このレビューを読んで気分を害した方がおられましたら、お許しください。最後まで真剣にいいところを見つけようと努力して視聴していた者だからこそ、発言する権利がある言葉だと受け止めていただければ嬉しく思います。こんなことを言いながらも、私は大河ドラマが好きですし、これからも観続けると思います。11ヶ月間、ありがとうございました。

●1年間の主要参考書籍
『お江と徳川秀忠101」の謎』 川口素生
『日本の歴史11~戦国大名』 杉山博
『日本の歴史12~天下一統』 林屋辰三郎



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by sakanoueno-kumo | 2012-01-12 02:08 | 江~姫たちの戦国~ | Trackback | Comments(19)  

名将、尾藤公氏の逝去を悼む。~野球は人生の縮図、社会の縮図~

 東日本大震災発生の5日前の3月6日、和歌山県立箕島高校野球部元監督の尾藤公氏が、膀胱ガンの為、68歳で亡くなられました。実は、この稿は尾藤氏が亡くなられた5日後の3月11日に起稿しようと思い、途中まで書きかけたところで東北の地震の報道が飛び込んできたため中断したものです。その後、地震のほとぼりが冷めてから起稿しようと思っていたのですが、そのタイミングを失ったまま2ヵ月以上が過ぎてしまいました。遅ればせばがら、本日、追悼の思いを込めて、起稿させていただきます。
 
 高校野球ファンにとっては、今さら尾藤さんの功績を語るまでもないとは思いますが、箕島高校の監督として、春8回夏6回、甲子園に出場、公立高校としては唯一の春夏連覇を含む、春3回夏1回の全国優勝に導いた、昭和の名将です。私たちの世代にとっては、既に亡くなられた徳島県立池田高校の蔦文也元監督と並んで、間違いなく『甲子園の顔』でした。

 しかし、そんな輝かしい記録よりも、私たちの脳裏に焼き付いているのは、『尾藤スマイル』といわれたベンチでの笑顔。それまで、“しごき”“鬼監督”といったイメージが強かった高校野球に、ベンチで笑顔を絶やさない“のびのび野球”を提唱した、最初の監督だったのではないでしょうか。守備を終えてグランドから走ってベンチに帰ってくる選手たちを、立ち上がって笑顔で向かえる尾藤監督の姿からは、心から選手を愛し、野球を愛していた尾藤さんの人柄が伝わってきたものです。

 そんな尾藤さんも、若い頃はスパルタ指導の“鬼監督”だったそうですが、1970年春に全国制覇を成し遂げた後、成績が振るわず、信任投票によって監督退任に追い込まれたそうです。その後、ボーリング場に勤務し、そこで接客を学んだことによって、これまでの指導方針を考え直し、再び監督に復帰してからは、練習の厳しさは変わらないものの、試合中は常に笑顔で接するようになったそうです。そこから、あの箕島黄金時代が始まったんですね。本番までは徹底的に鍛え上げ、ひとたび戦いが始まったら、選手たちを信頼して余計なプレッシャーを感じさせない。野球のみならず、人を使う人を育てる立場にいる者にとっては、お手本のような指導者像でした。

 尾藤さんを語るに、なんといっても外せないのは、1979年の夏大会3回戦、『神が創った試合』と語り継がれる、箕島対星稜戦の延長18回の激闘でしょう。私にとってあの試合は、高校野球史上最高の試合だと思っています。

 星稜 000 100 000 001 000 100 3

 箕島 000 100 000 001 000 101 4

 
 延長戦の名勝負という意味では、高校野球史には他にもいくつかあります。古くは1958年の板東英二投手と村椿輝雄投手の投げ合いや、1969年の三沢高校・太田幸司投手の力投、近年では、ハンカチ王子こと斎藤佑樹投手と田中将大投手の投げ合いなどが、記憶に新しいところです。しかし、これらの試合はすべて、高校生離れした投手の力投がクローズアップされた試合。それに対して箕島対星稜戦は、プロ注目といった選手がひとりもおらず、まさに全員野球での延長18回でした。それゆえに、高校生らしいミスがたくさん起きます。しかし、箕島の選手たちはそのミスで意気消沈することなく、逆にそこから一意奮闘して挽回します。それは、尾藤監督がすべてを選手たちに任せていた、選手たちを信頼していたからこそ成し得たことでしょう。何度も“万事休す”の局面になりながら、最後まで決して諦めることなく、最後は神をも味方につけた尾藤箕島。高校野球史に永遠に語り継がれるであろうこの戦いは、同時に、尾藤公という名を名将として歴史に刻んだ戦いでもありました。

 後年、延長18回の対戦相手だった星稜高校元監督の山下智茂氏は「尾藤さんの笑顔を見ていると、この人は“待つ”“信ずる”“許す”ということが出来る人なのだと思った。僕にはそれが出来なかった。その未熟さを自分で研究して野球観を変えた。」と言っておられました。それ以後、山下監督も笑顔を絶やさないスタイルに変えたといいます。

 監督勇退後は高校野球の実況解説者として活躍されていました。その解説も、決してネガティブなことをいわない、いつも選手の側に立った解説で、聞いている私たちを清々しい気持ちにさせてくれるものでした。何年もの間、「決勝戦の解説は尾藤さん」というのが定番でしたね。特に印象的だったのは、2006年夏の決勝戦の、斎藤佑樹投手と田中将大投手と投げ合いで引き分け再試合となった早稲田実業対駒大苫小牧戦の2試合のラジオ解説が、奇しくも27年前に延長18回の熱闘を繰り広げた山下智茂氏尾藤さんとのダブル解説だったこと。歴史に残る戦いを演じた二人が、時を超えて、歴史に残る戦いの解説席に並んで座っていた・・・。なんとも、不思議な巡りあわせだと感じました。

 7年ほど前からに侵され、闘病生活を余儀なくされた尾藤さんでしたが、3度の難しい手術を経験しながらも、「自分は何度か死んだようなもの。でも命の延長戦に終わりはない。人生をあきらめてはいけない。だから最後まで楽しみたい。」と語り、常に前向きだったといいます。昨年9月に甲子園球場で行われた、延長18回を戦った箕島・星稜のOB戦には、鎮痛剤を投与し、気力を振り絞って車椅子で参加されている姿をTVで観ました。そのときの言葉だったと思いますが、「命のほうは延長16回くらいまできているようだ。」と言っておられたと思います。これは一見、弱気な言葉に聞こえますが、延長16回といえば箕島・星稜戦で最大の奇跡が起きた回。星稜1点リードで迎えた16回裏の箕島の攻撃。2死ランナー無しの場面で、2年生の森川選手の打った打球は1塁ファールグランドへのポップフライ。誰もが星稜の勝利を確信した瞬間でしたが、ファーストを守っていた星稜の加藤選手が、グランドの土と人工芝の間に足を取られて転倒、ボールを取ることが出来ませんでした。命拾いをした箕島・森川選手は、その後、レフトへホームラン。土壇場で箕島は3−3の同点に追いつきます。このとき実況アナウンサーは「奇跡としかいいようがありません。」と叫んでいたのを今でも覚えています。打った森川選手は、それまで公式戦はおろか、練習試合でもホームランを打った経験がなかったそうです。まさに、神を味方につけた16回裏の攻撃。ご自身の闘病生活を、延長16回に擬えた尾藤さんの言葉は、もう一度、奇跡が起きることを信じていた言葉だったのではないでしょうか。

 その思いも虚しく、3月6日に尾藤公さんはこの世を去りました。残念ながら尾藤さんの人生の延長戦は終わってしまいましたが、しかし、彼に影響を受けた他校の監督が今でもたくさん活躍しておられること思えば、尾藤スピリッツの延長戦は、まだまだ甲子園に生き続けているといえるでしょう。それは、終わりのない延長戦です。

 最後に、私が好きな尾藤さんの言葉を記します。
 「野球というのは素晴らしいスポーツですよ。球技で、人間が得点するのは野球だけ。サッカーの場合はボールだし、ラグビーはボールと人の両方。でも、野球は人間だけ。だからこそ、人間臭いドラマが生まれる。野球というのは人生の縮図、社会の縮図ですよ。」(『高校野球熱闘の世紀。』より)

 謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。


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by sakanoueno-kumo | 2011-05-14 00:03 | 高校野球 | Trackback | Comments(0)  

24時間テレビを観て「偽善」だという人たち。

先日放送されていたチャリティー番組「24時間テレビ」に対して、「タレントにギャラを払うな!」「障害者を見世物にするな!」といった批判が多く寄せられているそうです。
私も特別この種の番組を好んでは見ませんが(今回、長瀬くんと広末さんのドラマは途中から見て不覚にもウルッとしちゃいました)、だからと言ってあれを見て不快に感じるという人の声には、逆に不快感を覚えます。
まあ、タレントさんのマラソンの企画は、「もういいだろう!」という気がしないでもないですが・・・。

「偽善」だと批判する人は、では自分は普段いったいどれほどの善行をしているのでしょうね。
障害者が頑張っている姿を見て不快に思う人は、健常者でありながら頑張ろうとしない、堕落した自身をかえりみて不快に感じるからではないでしょうか。
「タレントにギャラを払うな!」といいますが、タレントさんが報酬を貰うのは当たり前のこと。
それが職業なんだから・・・。
いくら目の前に困っている人がいても、理容師さんがタダで散髪したり、大工さんがタダで家を建ててあげたり、タクシーの運ちゃんがタダで乗せてくれたりしません。
要はその稼いだお金に余裕があれば、寄付というかたちで協力すればいいわけで、でもそれをするかしないかも、当人の考えで決めたらいいことだと思います。
つまりは、「ギャラをもらうな」など批判する人は、自分たちが何ヶ月もかけて稼ぐお金を数時間で稼いでしまうタレントさんに対する、妬みやっかみの心からくる声なんじゃないでしょうか。
食うや食わずの安もん芸人のギャラには、きっと文句を言う人はいないでしょう。
高収入を得ている人のことを快く思わない・・・日本人の悪いところですね。

話は少し違うかもしれませんが、昨年話題になった、失業者のためのボランティア「年越派遣村」に対する多くの批判の声を聞いた時も、今回に似た感情を抱きました。
収入がなく寝食を求めて集まった人に対して、「働かざるもの食うべからず!」「怠け者を助ける必要はない!」などといった批難の声が多く聞かれ、彼ら失業者を擁護するマスコミに対しても、「偽善」という批判が声高に言われました。
なぜ困っている人に手を差しのべることが「偽善」なのでしょう。
たしかに「怠け者」と言われても仕方がない人もいたかもしれませんが、助けを受けるということは、実はとても辛くみじめなことであって、その辛くみじめな助けをあまんじて受けなければならなかった彼らに対して、さらに追い打ちをかけるように批難の声を浴びせる人たちには、同じ日本人として憤りを覚えました。
自分たちは自力で寝食を得ている、だからオマエらも自力で生きろ!・・・なぜそんな理屈になるのでしょうね。
助けを受けなくとも生きていける自分を幸せに思うだけでいいじゃないですか。
そして余力のある人は困っている人を助け、それが出来ない人も、困っている人を見て可哀想と思う・・・そんなごくごく当たり前のことが、なぜ私たち日本人は出来なくなったのでしょう。
手をさしのべる行為に対して、「偽善」「上から目線」などといったふうにしか見られない人のほうが、「ひねくれ目線」であり、「狭量」だと私は思います。

いつから私たち日本人は、人の心の痛みをわからない、頑張っている人を素直に応援できない、そんな国民性になったのでしょう・・・思えばこれも、小泉政権時代に推し進めた「市場原理主義」による弊害といえるかもしれません。
人は皆、個人個人・・・力のあるものは栄え、力のないものは淘汰される。
その考えは間違っていないのかもしれませんが、殺伐としたその社会の中で、勝ち組は「哀れみ」の心をなくし、負け組は「感謝」の気持ちをなくしていった・・・私は小泉政権容認派ですが、その部分に関してのみ率直にそう感じます。

私の好きな司馬遼太郎氏が、小学校6年生の子供に向けて書いた「二十一世紀に生きる君たちへ」のなかで、このように述べています。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。
このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。
だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
その訓練とは、簡単なことである。
例えば、友達がころぶ。
ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。


「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」、なくしてしまっているように思えませんか?
訓練しなければなりませんね。


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by sakanoueno-kumo | 2010-09-03 18:01 | 芸能 | Trackback | Comments(7)  

野村克也の名言 その3

 先頃、ノムさんこと野村克也氏にプロ野球コミッショナーより功労賞が贈られたそうである。今期、楽天を率いてパ・リーグを大いに盛り上げたことと、長きに渡ってのプロ野球界に対する功績を称えてのこと。ご本人は、「10年遅いんじゃない。今ごろ何だ、という感じ。」などといつものボヤキっぽい野村節を吐いて会場を沸かせていたようだが、さすがに嬉しそうで「現場を離れるので、おみやげだと思ってありがたく頂きます。」と照れながら語っていた。本当にこれでユニホーム姿を見ることもないのかと思えば、残念な限りである。

 ノムさんの功績といえば、選手時代の輝かしい実績や、監督時代の5回のリーグ優勝や3回の日本一などよりも、その最も称えられるべきは、球界に残した野村イズムとそれを継承した選手たちであると私は思う。彼を師と仰ぐ選手や指導者は数多く、次世代の指導者の中で「野村イズム」は生き続けていくことだろう。

 財を遺すは下、
 仕事を遺すは中、
 人を遺すは上なり。


 この言葉もノムさんが常日頃から口にしている言葉である。金を稼いだだけでは下人、実績を残してもまだ凡人、人を育ててこそ初めて立派な人といえる。なるほどそのとおりで、胸に留め置きたい言葉である。

 この言葉は、明治・大正の政治家・後藤新平の残した言葉だそうで、次のように続くそうである。
  財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり。
  されど、財なくんば事業保ち難く、事業なくんば人育ち難し。

 結局は金がなければ始まらない・・・と、妙に現実的にトーンダウンするのだが、要は「金や実績を目標に生きてはいけない。」ということだろう。金を稼ぐだけの人が賤しいという意味ではなく、財を成したなら次は実績を目指し、実績を遺したなら次は人材を遺すことを常に考えていかなければならない・・・ということ。人を育てることの、得て・不得手に関わらず、地位と名声を手に入れた人の責務である・・・との言葉ではないだろうか。

 この言葉でいえば、イチロー選手も松井秀喜選手もまだまだ現段階では「中」ということになる。彼等ほどの実績を遺した人物は、向き・不向きに関わらず、将来人材を育てることに尽力せねばならない責務がある・・・ということだろう。

野村克也の名言 その1
野村克也の名言 その2

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by sakanoueno-kumo | 2009-11-19 15:56 | プロ野球 | Trackback | Comments(0)