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西郷どん 第41話「新しき国へ」その3 ~山城屋事件~

 昨日の続きです。

 天皇の西国巡幸に同行していた西郷隆盛でしたが、その途中、前月に表面化した山城屋事件に関わった山縣有朋に対し、四国の多度津で近衛兵が不満を爆発させたという報を受け、急遽一行から離れて東京に帰ります。以後、西郷は弟の西郷従道とともに、この近衛兵をめぐる紛議の解決にあたることになります。


西郷どん 第41話「新しき国へ」その3 ~山城屋事件~_e0158128_22162487.jpg 山城屋事件とは、長州軍閥の悪癖が露呈した近代日本初の汚職事件です。事件の発端となった山城屋和助というのは、元は長州藩の漢方医の家に生まれ、実名を野村三千三といいました。幕末期に高杉晋作奇兵隊を創設すると、これに入隊して各地で戦いに参加し、戊辰戦争では北越の戦いに従軍しています。この奇兵隊時代に軍監だった山縣と知り合っています。明治に入ると、志を転じて横浜で商人となり、屋号を山城屋和助と称するようになります。そして、その資金を得るべく旧知の山縣に近づきます。山縣は、大村益次郎の死後、長州陸軍の代表格のような立場になり、その後、政府の人事にうまく乗っかり、この当時の陸軍の総帥のような位置にのぼっていました。その山縣をうまく利用して、公金を出させようと考えたんですね。


西郷どん 第41話「新しき国へ」その3 ~山城屋事件~_e0158128_22143981.jpg 山城屋は山縣に近づき、その縁故で兵部省御用商人にならせてもらえないかと頼みます。御用商人になれば、陸軍に軍需品いっさいを納める商人になることであり、簡単に巨額の利益を得ることができます。おそらく山縣に甘い汁を吸わせたのでしょう。山縣はたやすく山城屋の申し出を受け入れます。兵部省御用商人となった山城屋の財はみるみる膨れ上がり、わずか1、2年の短期間で横浜一の巨商になりました。自然、山縣の懐も、山城屋とともに膨れ上がりました。


 陸軍の長官である山縣のそんな姿を見ていた下僚の長州系軍人たちは、山縣にならって山城屋に金を借りに行きました。「借りる」といっても無証文であり、実質「もらう」ことでした。山城屋にしてみれば、平素陸軍によって巨利を得続けているため、これを断ることはできませんでした。このため、山城屋はいつしか長州系軍人の金づるとなっていきました。明治5年(1872年)、山城屋は山縣ら長州系の官僚に陸軍省公金15万ドルを借り、生糸市場に手を出します。このとき長州系軍人官吏らは、貸し付けの見返りとして山城屋から多額の献金を受けたとされています。しかし、ほどなく山城屋は生糸相場に失敗。いままで兵部省御用商人として儲けてきた金をことごとくつぎ込んでも回復不可能な悲境に立ってしまいました。


 山城屋は陸軍省から更に金を借り出し、フランスの商人と直接取引をしようとフランスに渡ります。ところが、パリに渡った山城屋は狂ったように豪遊し、湯水のごとく金を使い始めました。観劇競馬に興じ、一流女優との交際や富豪令嬢との婚約話など、商売そっちのけで散財しているという噂が現地で広まり、この評判がロンドンやパリの日本公館にまで届き、これを不審に思った駐仏公使の鮫島尚信が内偵してみると、長州軍閥に食いついて巨利を得ている商人であることを知ります。鮫島はこの背景に重大な政府部内の腐敗があることを予感し、日本の外務省に詳細な報告を送りました。


西郷どん 第41話「新しき国へ」その3 ~山城屋事件~_e0158128_22240827.jpg当時の外務卿は佐賀藩出身の副島種臣でした。副島はこの種のことが許せないたちの硬骨漢で、すぐに同郷で司法卿江藤新平に知らせました。同じく不正を忌み嫌う江藤はすぐさまこれを調査し、山縣の判で貸し付けた公金が総額約65万円にのぼることが発覚します。65万円とは、当時の陸軍予算の半分以上に当たる巨額で、この事件は、当時出来上がったばかりの新政府の土台を揺るがしかねない大事件となりました。やがて、これを機に陸軍長州閥の弱体化を図りたいと狙う他藩出身の官僚たちが、声高に山縣の罷免を訴え始めます。追い詰められた山縣は、山城屋を日本に呼び戻しますが、すでに山城屋に返済能力はなく、山城屋と親しかった長州閥官僚手のひらを返したように山城屋との関係を一切絶ち、窮地に立たされた山城屋は、明治5年11月29日(1872年12月29日)、陸軍省内部の一室で割腹自殺しました。山城屋の自殺により、山城屋事件の真相は究明されないまま終わります。


西郷どん 第41話「新しき国へ」その3 ~山城屋事件~_e0158128_15131310.jpg 西郷はこの事件の報告を受けた際、声をかけられないほどの落胆の色を示したといいます。そして、この頃から、職務を投げ出して隠棲したいといった旨を口にするようになったといいます。貪官汚吏をこの上なく嫌う西郷にしてみれば、このような腐敗した新政府を作るためにこれまで力を尽くしてきたのではない、という虚しさがあったのでしょう。しかし、最終的には西郷は山縣に救いの手を差し伸べ、翌年の徴兵令施行に伴い陸軍卿に昇進させています。これは、西郷なりに明治政府内の薩長のバランスに配慮したとも、山縣有朋の軍政の才を高く評価していたともいわれますが、真相はわかりません。いずれにせよ、山縣はこの事件以降、西郷に対して深い恩義を感じるようになり、のちの西南戦争で敵対する立場となったときには、悩み苦しんだといいます。


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by sakanoueno-kumo | 2018-11-07 22:06 | 西郷どん | Trackback | Comments(2)