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いだてん~東京オリムピック噺~ 第23話「大地」 ~関東大震災~

 大正12年(1923年)9月1日、関東地方を中心に広い範囲に被害をもたらした大地震が発生します。いわゆる「関東大震災」です。震源地は相模湾の真ん中あたりで、現代の観測値でいえば、マグニチュード7.9、最大震度6という規模だったと言われています。その被害の範囲も広大で、房総半島の太平洋側から、東京府、埼玉県、神奈川県、さらには東伊豆から静岡県の東の方、また、山梨県の一部まで家屋の倒壊があったと言われています。木造建築がほどんどだった時代とはいえ、その地震の規模の大きさがうかがえます。


e0158128_21313576.jpg また、これもよく知られていることですが、地震が起きたのが午前11時58分という、ちょうど昼食の準備の時間帯だったことも、被害を拡大させました。当然のことながら、当時はIHキッチン電子レンジもなく、どの家庭でもなどのを使って炊事をしていたわけで、その火が燃え移って大規模な火災が発生しました。消化器消火栓なども当然なく、水道すらまだほとんど家庭には通ってなかった時代ですから、なす術もなかったのでしょう。また、不運なことに、ちょうどこのとき台風が日本海沿岸を北上中で、その強風がいっそう火を煽ったようです。特に横浜市は中心部がほとんど全滅だったようですし、東京も、下町の本所・深川、今で言う江東区とか墨田区、それから日本橋・京橋など、要するに宮城(皇居)から東側は壊滅的だったようです。ドラマの舞台となっている浅草も例外ではなく、当時、浅草のシンボルだった凌雲閣(通称:浅草十二階)も、8階より上が倒壊。地震発生当時、頂上展望台付近には12、3名の見物者がいたといいますが、看板に引っかかって助かった1名を除いて全員が崩壊に巻き込まれて死亡したといいます。その中に、まさかシマちゃんがいようとは・・・。


 関東大震災の被災者は340万人、死者・行方不明者は10万8000人に達しました。時代が違うので比べようがありませんが、平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災6500人ほど、平成23年(2011年)の東日本大震災1万8000人ほどだったことを思えば、その被害の大きさに驚かされます。阪神・淡路大震災のときは建物倒壊による圧死、東日本大震災のときは津波による溺死が圧倒的に多かったそうですが、関東大震災では、やはり焼死がいちばん多かったようです。昭和20年(1945年)の東京大空襲の際の被害がこれに匹敵するのだとか。東京は、わずか20年ほどの間に2度も焼け野原になったんですね。


e0158128_21332287.jpg もうひとつ不運だったのは、このとき日本政府は、地震発生の8日前に内閣総理大臣加藤友三郎急死しており、外務大臣の内田康哉が内閣総理大臣を兼任するという臨時内閣のときでした。この緊急事態を受け、地震翌日の9月2日に山本権兵衛が新総理に就任するというドタバタでことにあたったのですが、政府機関が集中する東京が壊滅していることもあって、政府の対応もスムーズにはいかなかったようです。そういえば、平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災も、当時、自社さ連合政権で首相が旧社会党の村山富市総理だったため、自衛隊の出動が遅れたと言われていますよね(真偽は定かではありませんが)。また、平成23年(2011年)の東日本大震災のときも、あの稚拙民主党政権下だったため、菅直人総理の右往左往する姿しか思い出せません。どうも、わが国の政府が混乱しているときに、「大震災」と呼ばれるような未曾有の災害が起きるようです。偶然と言ってしまえばそれまでですが、政治が不安定になったとき、地震に気をつけたほうがいいかもしれません。


 わたしの住まいは神戸市で、あの阪神・淡路大震災を経験しました。ドラマにあった安否をたずねる貼り紙が、24年前の神戸のまちにもあちこちに貼られていました。ドラマを観て思い出しちゃいましたね。シマちゃん、生きていてほしいと思いますが、たぶん、ドラマではその安否は描かれないんでしょうね。胸が詰まります。



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by sakanoueno-kumo | 2019-06-17 21:33 | いだてん~東京オリムピック噺~ | Comments(0)