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タグ:徳川家康 ( 84 ) タグの人気記事

 

天地人 第37話「家康への挑戦状」

 直江兼続と言えばやはりこの「直江状」。天地人紀行でも紹介されていたとおり、この「直江状」は原本が残っておらず、現在伝わっているものは複数あり、これらは後世の写しと言われている。内容も微妙に違っており、そのため解釈もさまざまある。研究者の中には、「直江状」の存在すら否定する向きもある。

 本物語においての「直江状」の解釈全文。
 「内府さまは会津に関する様々な噂にご不信を持っておられるとのこと。無理もなきことながら真相はいずれお耳に入ることとなりましょう。
 主、景勝の上洛が少ないとは真に心外。上杉は一昨年に国替えをしたばかり。そう度々上洛をしていたら、いったいいつ領内の政(まつりごと)が出来ましょう。それをもって景勝に逆心ありとは見当違いも甚だしい。言いふらした浅はか者の顔が見てみたいものでございます。
 逆心なき証に起請文を差し出せと仰せなれども、これまでの起請文はいったい何だったのでございましょう。景勝は天下に知れた律義の者。もとより疾しきことなど一切ござらん。内府様ともあろうお方が、人の告げ口を確かめもせず景勝謀反と思し召しとは驚いたこと。公平なお方と予て敬っておったは、とんだ勘違いでござろうか。
 加賀前田様を意のままに扱われた件に至っては、「真に結構なご威光でございますなあ」と申し上げる他なし。左様にご立派なお方が、堀秀治なんぞに振り回されるとはなんとも嘆かわしいかぎり。
 我らが武具を買い集めているとお咎めなれど、これは田舎武士の習わしにて、上方武士がつまらぬ茶碗集めにうつつを抜かすよりはまし。余計な心配は御無用。上杉家は、越後の堀をはじめ、伊達、最上ら多くの大名衆と境を接しております。されど他国に繋がる道を作ったくらいで、謀反謀反とほざき立てるは春日山のご城主のみ。余程の愚か者と見受けられます。
 もし景勝に謀反の心があれば、国境(くにざかい)を閉ざし堀を廻らすのが道理。何処からでも攻められるような道をわざわざ作るなど、大馬鹿者の所業にございます。どちらが正しいかは誰が見ても明々白々。
 当節は、例え心に謀反を思うても、勝ち目なしと見れば手のひらを返して服従するが流行りのようでございます。されど、斯様な恥知らずと景勝を一緒にされては迷惑千万。謙信公を始め、歴代武門の誉れも失われます。
 嘘つきものを引き据えて正しい詮議をなさらぬままならば、上杉の上洛などもってのほか。果たして景勝に非があるのか、内府様に裏表がおありなのか、すべては天の沙汰を待つところとなりましょう。重ねて申し上げます。嘘つきものの申し立てを鵜呑みにされ、景勝を疑うとあれば致し方なし。内府様がそこまで天下の正義をおわかりにならないお方であったとは、残念と申すほかなきことでございます。
                                四月十四日 直江山城守兼続」


 本来はもっと長い文章だが、物語に関係のないところは省いて要訳したのだろう。とにかく家康が逆上するには十分な内容である。前話の三成と兼続の「密約」が本当にあったとすれば、この書状が関ヶ原の戦いの導火線になったことになる。「その時、歴史が動いた」書状である。

 家康軍との決戦を目前にした上杉軍だったが、三成の挙兵の知らせを受けた家康軍は全軍を率いて西へ引き返す。このとき上杉軍が何故追撃しなかったかは諸説あるが、今もって謎。今話の景勝と兼続のようなバトルは実際にあったかもしれない。
「我らの望みは、家康を倒し清き国を作ることのみ。それだけを願ってここまで来たのでございまするぞ。今撃てばそれがかないまする。」
「義に叛いてまで敵を討てば、天はいずれ我らを見放すであろう。それでも追いたくば、わしを斬ってからにせよ。」
兼続の思う「義」の心。景勝の思う「義」の心。しかし、兼続の言う「義」は、その場の「利」でしかないという景勝。自分を斬れとまで言った景勝の強い覚悟に、兼続は屈するのである。

 歴史のイフはタブーだが、このとき三成の挙兵があと少し遅れていたらどうなっていたか。天下分け目の関ヶ原にどう影響していたか。そんなことを考えたくなる歴史の1ページである。

~追記~
 上記文章を打ち終えて投稿したのち、NHKの「天地人」HPを見たらなんと、ドラマ中の「直江状」の全文が載っているではないか!ビデオを一時停止しながら必死で入力した労力は何だったのか・・・。家康以上に逆上した私だった。



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by sakanoueno-kumo | 2009-09-14 02:04 | 天地人 | Comments(0)  

天地人 第36話「史上最大の密約」

 直江兼続と石田三成を主役とするこの物語で、関ヶ原の戦いにおいて二人の共謀があったか否かは避けて通れない話である。秀吉の死後、上杉家が会津にて挙兵。徳川家康を東国に引きつけている間に大阪にて石田三成も挙兵。そして関ヶ原合戦へと繋がっていく。この戦略を兼続と三成が事前に謀り、言い合わせていたというのが二人の共同謀議説である。これに対して、共謀はありえないとする「密約否定論」が現在では通説になっているようである。上杉家は当時、新領国「会津」に国替えをして間もない時期であり、資金面から考えても大戦を挑むなんてあり得ないというのが理由のようだ。「密約否定論」を唱える人の中には、「直江状」の存在すら否定する向きもある。

 「密約肯定論」の理由は、兼続の挙兵と三成の挙兵が偶然というにはあまりにも出来過ぎのタイミングであること、三成が兼続に宛てた手紙に「密約」を匂わす文章があること、伏見での上杉屋敷と石田屋敷はごく近隣に位置し、「密約」を交わす機会は十分にあった・・・とするものである。

 密約があったのかなかったのか、どちらも明確な証拠となるものは存在しない。ならば学者ではない素人歴史ファンとしては、「密約肯定論」を通して関ヶ原の戦いを見る方が俄然面白いわけである。多くの小説などでもこの説をとっており、この「天地人」においても当然「密約肯定論」をもとに話が進んでいくようである。

 対立関係にあった武断派たちから襲撃を受けた三成だが、こともあろうに襲撃の黒幕と目される家康の屋敷に逃れる。このエピソードもまた、史実かどうかは疑わしいものだそうだが、素人歴史ファンとしてはこの説も信じたいところ。
 「我らのの政(まつりごと)は天下万民のためのものであるべき。己だけが良きめをみんとするは、公平にあらず。」
 三成に佐和山城蟄居を促し、政(まつりごと)のすべてを手にしようとする家康に対し言った三成の言葉。まったくもって正論である。しかし私利私欲のない純粋過ぎるほどの正論は、権力者にとっては目障りなもの。純粋な正論が必ずしも正義とは限らない。三成の言う「政(まつりごと)」は、家康の持つ政治力に敵わなかった。

 間もなく発足する平成の新政権において、三成の言う天下万民のための政(まつりごと)は行われるのだろうか。とりあえずは期待したいところなのだが、家康が幹事長なだけに微妙なところである。



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by sakanoueno-kumo | 2009-09-08 00:19 | 天地人 | Comments(0)  

天地人 第35話「家康の陰謀」

 半世紀以上続いた自民党政権に終止符がうたれたこの日、この物語においてもひとつの政権が終わろうとしていた。慶長3年(1598年)8月18日、豊臣秀吉死去。享年63歳。これにより再び時勢は緊迫し始め、2年後の関ヶ原の戦いに向けて動き出す。もっとも秀吉の死を待たずしても、晩年の豊臣政権の度重なる悪政には諸大名たちも耐えがたき思いがあっただろう。終わりゆく政権の末路は腐敗への不満。今も昔も変わらない。

 秀吉の死後、露骨に牙を出し始める徳川家康。遠まわしに上杉を奸臣呼ばわりした家康に対し、兼続はその言葉の取り消しを求めもの申す。
「天下を操る奸臣とは、不穏な大名とは、どこのどなたでございましょうか?今この場で、はきと仰せられぬならば、お言葉お取消しくだされ!」
「言の葉は、ひとたび口よりいずれば取り返しのつかぬもの。取消しなど無駄なこと。」
 取り消すくらいなら初めから発言しない・・・憎らしいが正論でもある。腹の据わった者の言葉だ。失言、撤回、釈明を繰り返す平成の政治家とは性根が違うようだ。
 去り際に三成に向けて、再び牙をむく家康。
「我ら力で領地切り取りし者。そなたらごときに束ねられはせぬ。」
 これもまた腹の据わった言葉。悪役もここまで徹底すればある意味頼もしくも感じさせられる。

 度重なる家康の挑発に耐えかね、三成は家康に対して夜討を企てる。
「ここで俺が身を棄てなければ、天下を家康に奪われる。」
 豊臣政権に対する純粋な忠義の心を貫こうとする三成。ここにも腹の据わった言葉があった。
「おぬしは、我らは、天下を守る者。何より大事は揺るがぬ志だ。」
 一時の感情に駆られ、はやまろうとする三成を必死で制止しようとする兼続。やはりこれも腹の据わった言葉である。

 徳川家康、石田三成、直江兼続。立場は違えど、いずれの思いも腹の据わった「覚悟」の言葉である。それぞれの命を賭けた「覚悟」がやがて歴史を大きく動かすこととなる。
 もうすぐ始まる民主党新政権。惨敗を喫し立て直しを図る自民党。どちらにしても「覚悟」はいかほどのものか?今はまだ、計る術もない。


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by sakanoueno-kumo | 2009-09-02 01:17 | 天地人 | Comments(0)  

天地人 第21話「三成の涙」

 石田三成と直江兼続の友情が交わされた本話。終始コミカルに描かれていた本話の演出には多少違和感を感じたものの、今後の物語に大きく関わってくる話。後の関ヶ原合戦において、二人の共謀説をとるであろうこの物語では、二人の友情は重要なエピソードとなってくる。

 あらためて説明するまでもないが、秀吉の死後、上杉家が会津にて挙兵。徳川家康を東国に引きつけている間に大阪にて石田三成も挙兵。そして関ヶ原合戦へと繋がっていく。この戦略を兼続と三成が事前に謀り、言い合わせていたというのが二人の共同謀議説である。この説ははっきっりした証拠がないことから歴史学者らは否定的な見解が多いよう。しかし共同謀議がなければ、ああいう結果はなかっただろうという人も多い。興味深い歴史の謎である。

 聡明、有能ではあるものの融通がきかず、己以外の者を見下したところがあり、人望を得られなかったといわれる石田三成。謹厳実直な性格が災いして武功派諸将から反感をかっていたというのが定説。いわゆる官僚型の人物で、人の上に立つ器ではなく、秀吉のような政治家タイプの人物の参謀としてこそ光る男だったのだろう。

 自分が何故に嫌われるのかを客観的に理解した上で「性分だから仕方がない。」という三成。この言葉に融通のきかない不器用さがうかがえる。しかし私はこの不器用な男が嫌いではない。性分とは分かっていても簡単に変えられるものではなく、聡明な三成は自分が大将の器ではないことも理解していたと私は思う。にも関わらず、謹厳実直な性格が彼を不向きな道へと歩ませてしまったことが、石田三成という人物の不器用且つ不幸な性分だといえよう。

 彼のように聡明ではないが、私も彼に似た性分で他人とは思えない。命まで落とすことはないと思うが・・・。



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by sakanoueno-kumo | 2009-05-25 02:04 | 天地人 | Comments(0)