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漆黒の烏城、備前岡山城を歩く。 その1「内堀~大手門」

過日、備前岡山城を訪れました。

岡山城は、豊臣秀吉から目をかけられ、57万石の大大名となった豊臣五大老のひとり・宇喜多秀家が8年の歳月をかけて完成させた梯郭式平山城です。

現在、城跡は国の史跡に、岡山後楽園は国の特別名勝に指定されています。


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岡山城の登城ルートは、南側の大手門から入るルートと、北側の後楽園側の搦手門から入るルートとがありますが、この日は、南側の大手門から登城しました。

写真は、大手門前に建つ「烏城みち」の石碑。

「烏城」とは岡山城の別名で、天守が黒漆塗の外観のため、そう呼ばれるようになったそうです。


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城跡南西から見た内堀石垣です。

岡山城の内堀は本丸の南側と西側にL型で構成されています。

北側と東側には旭川が流れており、天然の堀の役割を果たしています。


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城跡公園の案内図です。

南側と西側をL型で守っているのがわかります。


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こちらは南側内堀

土橋が見えるのは、大手門に通じる目安橋(内下馬橋)です。


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内堀南西隅にある太鼓櫓跡の石垣です。

野面積みですね。


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大手門に向かって目安橋(内下馬橋)を渡ります。

寛永9年(1632年)に因幡鳥取から入封した池田光政の時代、この橋のたもとに領民からの投書を受け付けるための目安箱が置かれたことから、そう呼ばれるようになったのだとか。

かつては木橋が架けられていたそうですが、明治になって撤去され、土橋に改められました。


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橋をわたると枡形虎口の形状になっています。

その隅には、「烏城公園」と刻まれた石碑が。


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枡形虎口内にある大石の説明板です。


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枡形のニノ門跡です。

かつてここには櫓門がありました。


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その櫓門の土台の石垣です。

ここにも大石が使用されています。

説明板によると、これらの巨石は実は板状になっていて、厚さはないそうです。

発掘調査の結果、関ヶ原の戦い後に池田氏が築いたものと考えられているそうです。


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さて、本丸内に入りました。

「その2」では本丸下の段を歩きます。




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by sakanoueno-kumo | 2019-04-24 01:02 | 岡山の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)