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西郷どん 第47話「敬天愛人」その2 ~鹿児島への帰還~

 昨日の続きです。

 政府軍の虚を衝いて可愛岳の突破に成功した西郷隆盛率いる西郷軍は、九州の中央を貫く山脈の尾根伝いに百里余りの険しい道を突き進み、明治10年(1877年)9月1日に鹿児島に入りました。2月の決起以来、実に199日ぶりの帰還でした。2月の決起時には1万数千人いた西郷軍兵士の数も、このときには400人を切るまでに減っていました。


 当時、城山私学校には政府軍の新撰旅団の一部がいましたが、辺見十郎太らが私学校を襲撃してこれを占領すると、同日中に西郷軍は鹿児島市街地をほぼ制圧し、当時、新たに鹿児島県令に就任していた岩村通俊は脱出を余儀なくされました。そして翌日に西郷が城山の岩崎谷(洞窟)に入ると、ここを西郷軍の本営として、徹底抗戦の構えを見せるとともに、鹿児島県下の士族らに決起を求めます。しかし、呼びかけに応えて駆けつけようとした者たちのほとんどは各地で政府軍や警察に捕縛されたため、西郷軍の兵力が増すことはありませんでした。


 西郷どん 第47話「敬天愛人」その2 ~鹿児島への帰還~_e0158128_15131310.jpgやがて、約5万人もの政府軍が鹿児島に入り、西郷軍の籠もる城山や私学校を包囲します。5万対4百。その兵力の差は歴然としていました。もはや全滅は必至となったこの段階で、「西郷先生の一命だけは助けたい」という声が、西郷軍内部で巻き起こりました。特に、辺見十郎太、河野主一郎らが中心となり、政府軍に西郷の助命を嘆願すべきとの意見を主張します。しかし、当の西郷は、これを一蹴します。当然だったでしょう。開戦以来、多くの将兵を戦死させてしまった総大将として、自分ひとりが生き残るなど、あり得ない選択だったに違いありません。しかし、西郷を失うのは国家の損失と考えた河野らは、新政府軍の参軍・川村純義と会い、挙兵の正当性を主張したいと西郷に申し出、その許しを得ます。川村は西郷の親戚にあたり、河野はその川村のに訴えて、西郷の助命を実現させようと考えたんですね。


 9月23日、河野主一郎と山野田一輔の両名が下山し、川村と面会しました。ふたりは挙兵の正当性を主張し、西郷の助命を訴えました。これを受けた川村は、挙兵の正当性は認めなかったものの、西郷の助命については否定も肯定もせず、まずは降伏することと通告し、その旨を伝えるために山野田ひとりを城山に帰します。川村も、できることなら西郷の命を助けたいという思いはあったのかもしれませんが、しかし、同時に川村は、降伏しなければ翌日に総攻撃することも通告しており、同日夕方までにその回答を求めました。しかし、帰陣した山野田から報告を受けた歳号は、「回答の必要なし」として降伏勧告を一蹴します。ここに、24日の最終決戦が決定しました。ドラマでは、東京にいる大久保利通から西郷軍に対して降伏勧告の手紙が届けられていましたが、あれは、たぶん、この川村の降伏勧告をアレンジしたものでしょう。


 このとき、政府軍総裁の山縣有朋が山野田に持たせた西郷宛の手紙が有名です。長文なので全文を紹介することはできませんが、その中で山縣は、自身の西郷に対する畏敬の念を綴ったのち、こう記しています。


 西郷どん 第47話「敬天愛人」その2 ~鹿児島への帰還~_e0158128_22143981.jpg思ふに、君が多年育成せし壮士輩は、初めより時勢の真相を知り、人理の大道を履践する才識を備へたる者なるべけれど、かの不良の徒の教唆により或はその一身の不遇によりてその不平の念を高め、遂に一転して悲憤の念を懐き、再転して叛乱の心を生ずるに至りしならん。而してその名を問へば則ち曰く、西郷の為にするなりと。情勢既にここに至る。君が平生故舊に篤き情は、空しくこれを看過してひとり餘生を完うするに忍びざりしにならん。されば、君の志はじめより生命を以て壮士輩に與へんと期せしに外ならざりしならん。君が人生の毀誉を度外に置き、天下後世の議論を顧みざるもの故なきにあらず。嗚呼君の心事まことに悲しからずや。有朋ここに君を知る深きが故に、君が為に悲む心また切なり。然れども事既にここに至る、これをいふことも何の益かあらん。


 曰く、あなたはこの暴発は本意ではなかったであろうが、あなたを慕う壮士たちの暴挙をあなたの名望をもってしても抑えきれず、自身だけが穏やかな余生を送るということができない情の厚いあなたは、一身を彼らに与えたのであろうとわたし(山縣)は思っている。あなたの心をわたしは深く理解でき、まことに悲しい。しかし、事ここに至ってしまった、と。そして、さらにこう続けます。


 君何ぞ早く自謀らざるや。


 西郷さん、なぜあなたは早く自殺しないのか!・・・と。


 願くは君早く自ら謀りて、一は其の挙の君が素志にあらざるを明にし、一は両軍の死傷を明日に救ふ計を成せよ。君にして其の謀る所を得ば、兵も亦尋で止而己。


 願わくば、早くあなた自身が自らの命を絶ち、一つにはこの挙があなたの本意ではなかったことを証明し、そして、もう一つには、これ以上、両軍の犠牲者を出さないためにも、まず、あなたが自決すべきである。そうすれば、外の兵たちも皆、戦いをやめるだろう、と。そして、最後に、


 涙を揮て之を草す。不得尽意。頓首再拝。


 と、結んでいます。山縣の西郷に対する畏敬の念がひしひしと伝わってくる手紙です。この手紙は、西郷の死後、政府軍の兵が西郷の洞窟に入った際に発見されたといいます。敵将敵将に対して総攻撃の前日にこのような手紙を送ったということ自体、例のないことでした。西郷はこの手紙を読んで、どんな思いを抱いたのでしょうね。

 「その3」に続きます。



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by sakanoueno-kumo | 2018-12-18 02:02 | 西郷どん | Trackback | Comments(0)