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東日本大震災から1年、いま思うこと。

1000年に一度の大災害といわれ、2万人近くの死者・行方不明者を出した東日本大震災から間もなく1年を迎えようとしています。
改めて、震災により亡くなられた方々のご冥福を深くお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に、心よりお見舞い申し上げます。

震災1周年ウイークの今週は、各テレビ局とも連日のように震災を振り返る特集番組を放送しているようです。
おそらく、3月11日の明日は朝から晩までその話題になるのでしょうね。
まあ、ひとつの節目として振り返るのは悪いことではないと思いますが、まだまだ震災は現在進行形といってもよく、もっと普段から報道すべきなんじゃないかとも思ったりします(特に、連日のようにくだらない女性タレントの占い師洗脳ネタをトップニュースに持ってくる情報番組には、正直いって辟易しています)。
17年前の阪神・淡路大震災のときも、地震発生から2ヵ月余りが過ぎたとき、東京であのオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が起こったため、世間の関心は一斉にそちらに移り、マスコミからも震災の話題がフェードアウトしていきました。
「地下鉄サリン事件」の場合は重大な事件でしたから、報道の目がそちらに向くのはやむを得なかったにしても、それによって被災地以外に暮らす人の「阪神」への感心が薄れていったのも事実です。
「人の噂も七十五日」とは、よく言ったものだと思いました。
昨年の東日本大震災の場合は、原発問題もあって被災地以外の人にとっても他人ごとではなく、阪神のときほど極端にフェードアウトすることはなかったものの、それでもやはり、報道が減れば関心は少しずつ薄れていくでしょう。
1周年ウイークが過ぎても、報道は変わらず続けて欲しいですね。

それにしても、久しぶりに津波の映像をじっくり見ましたが、改めてその恐ろしさを実感しました。
2004年に起きたスマトラ沖大地震のときの津波映像も衝撃的でしたが、東日本大震災で撮影された津波映像は学術的にも貴重な映像が多かったそうで、今後の津波研究の資料として大いに役に立つと期待されていると聞きます。
たしかに、あのCG映画のような非現実的な光景はそう簡単に撮影できるものではなく、この資料をもとに今後の防災計画津波予測に大いに役立てて欲しいとは思いますが、しかし、私は昨年の地震発生当初から、この映像を見て複雑な思いがありました。
というのも、あの映像の大半は被災者が撮影したものですよね。
つまり、あれだけたくさんの映像が残っていることから察するに、撮影していて逃げ遅れてしまった人も大勢いたのではないかと・・・。
残されている映像のなかには、かなり際どい映像も多々見受けられますからね。
たしかにあの映像のおかげで、私たちは被災地で何が起こっていたかを知ることができたのですが、撮影していて逃げ遅れたら何の意味もありません。
生命あってのことですからね。

という私も、実は17年前の阪神・淡路大震災の発生時、まず持ちだしたのはカメラでした(当時私はカメラが趣味だったことと、子どもが生まれたばかりで普段からカメラを持ち歩く習慣があったので)。
しかし結局、被災地を撮影したのは地震発生から1ヵ月が過ぎてからでした。
今から思えば、大変貴重な光景の中に毎日身を置いていたのですが、とりあえずは家族も住まいも無事だった私が、被災地に向けてファインダーを覗くのは何だか不謹慎に思えたからです。
当時は携帯電話を持っている人も珍しかったですし、持っていてもカメラなど付いていませんでしたから、プロのカメラマンでもない限りなかなかカメラを持ち歩いている人は珍しかったですからね。
今は、誰でもカメラ付の携帯電話を持ち歩いていますし、ムービーカメラもコンパクトになって各家庭に当たり前のようにある時代。
1億総カメラマンといっても過言ではないでしょう。
それゆえに、逃げ遅れて失われた生命がたくさんあったような気がしてなりません。
テレビは、被災者が撮影した映像を当たり前のように放送していますが、その前に、災害発生時はカメラを捨てて、まず逃げることを優先して欲しいと呼びかけるべきなんじゃないでしょうか。

さて、明日で地震発生から1年を迎える被災地ですが、1年というと、「阪神」のときの例でいえば、被災者の中にも格差が生じ始めた時期でもあります。
震災発生直後は、右を向いても左を向いても皆、大なり小なり不幸を背負ってましたから、被災者全員が仲間で、励まし合っていました。
しかし、1年も経つと、自力で再建を目指す力のある人、再建の目処は立たずとも前向きに境遇と向きあう人、被災地を離れる人、どうしても復興の波に乗れない人と、否応無しにも格差が生じ始めました。
そんな中、数カ月前までは仲間意識で励まし合っていた被災者の方々の中も、少しずつ温度差が見え始めます。
残酷ですが、同じ被災者同士でも、「いつまで震災のせいにしてるんだ」という空気が漂い始めたのが1年ほど過ぎた頃でした。
「東北」の場合は、「阪神」と比べて復興は遅々として進んでいないようで、今なお30万人以上の方が避難生活を余儀なくされていると聞きますから、そういった温度差はまだ目立ってはいないかもしれませんが、遠からずのような気がします。
よく、“心のケア”という言葉を耳にしますが、これからはそういった格差によって生じるメンタル面に気を配っていく必要があるでしょう。

いろんな意味で、まだまだ現在進行形の東日本大震災。
明日の14時46分には黙祷し、そして1年の節目が過ぎても、まだまだ被災地から目を逸らさずにいたいと思います。
そして1日も早く、過去形で語れる日が訪れることを願ってやみません。


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by sakanoueno-kumo | 2012-03-10 23:13 | 時事問題 | Trackback | Comments(2)  

東北地方太平洋沖地震の深刻さを、改めて思う3日目の夜。

東北地方太平洋沖地震が発生してから3度目の夜を迎えました。
時が経つにつれ見えてくる被害の大きさに、ただただ胸を痛めています。
13日夕方、ようやく津波注意報が解かれたようですね。
まだまだ大きな余震の可能性が否定出来ないため予断を許しませんが、とりあえず注意報が解かれたということで、明日から踏み込んだ救助活動ができることでしょう。
今日、津波に飲み込まれた男性が、15キロほど沖合に浮かんでいる瓦礫の上で生存しているところを発見され、救助されていましたね。
他にも、同じような人がまだたくさんいるかもしれません。
震災現場で生存率が急激に低下するのが、被災後72時間といわれます。
残された時間は少ないですが、一人でも多くの生命が助かって欲しいと願うばかりです。

前稿でも述べましたが、私は阪神・淡路大震災を経験した神戸市民です。
比べる類のものではないのでしょうが、震災といえば、どうしても自身が体験した大震災が比較の対象になってしまします。
当時、100年に一度の地震災害といわれた阪神・淡路大震災。
巷では、南海地震が近いなどと耳にすることもありましたが、正直、私が生きている間に、16年前のそれを超えるような大震災が国内で起こるとは思いませんでした。
もちろんそれは、何の根拠もありません。
ただ、私も含め人間というのは、喉元過ぎれば熱さを忘れる生き物ですから・・・。

今回の地震発生当初は、地震の規模を示すマグニチュード8.8とされていましたが、専門家の指摘を受け、地震波のデータを再計算などしたところ、9.0に修正されたそうです。
マグニチュードが0.2大きくなると、地震のエネルギーは2倍にもなるとか。
マグニチュード9.0というのは、7.3だった阪神・淡路大震災の約1000倍のエネルギーだそうで、計り知れない規模だということがわかります。
ただ、これは地震のエネルギーの規模を表す値で、揺れの激しさを示す数字ではありませんから、世界で初めて『震度7』を記録した“阪神”は、“揺れ”という部分だけみれば、今回以上だったかもしれません。
しかし、今回の震災では阪神とまったく違う、“津波”という恐ろしい災害に襲われました。
都市直下を震源地とした“阪神”は、一瞬にしてビルも高速道路も倒壊させてしまう惨状を生みましたが、被災後、災害地域に人が踏み込めないような事態にはならず(火事の起こった地域は別ですが)、地震発生初日、救助隊の活動が始まる前に、被災者同士の救助活動で助けだされた生命が、おそらく何千、何万とあったでしょう。
実際に私の職場の人間で究極の被災地に住んでいた者も、自身の家が全壊だったにも関わらず救助活動に参加し、何人も瓦礫の中から救い出したと聞きます。

今回は直下型ではなく三陸沖が震源地だったことで“津波”という災害を生み、その被害を受けた被災地は、一般の人はもちろん、救助隊ですら足を踏み入れることができない地域が多く、ただ呆然と惨状を見つめることしかできないという、地獄絵のような惨状が想像できます。
しかも、“阪神”の場合、行方不明の被災者が、何処に閉じ込められているか、また、何処に埋まっているかが、ある程度予想できる場合が多かったでしょうが、今回の“津波”に飲み込まれたと思われる方々は、何処にいるかさえわからない場合がほとんどではないかと想像します。
2004年のスマトラ島沖地震で見た“津波”の映像は衝撃的でしたが、今回、改めて“津波”の恐ろしさを目の当たりにしています。

“阪神”の場合、もうひとつの不幸中の幸いは、地震の起きた時間帯もあったと思います。
“阪神”が発生したのは午前6時前という、まだ人々が動き出す前の時間帯だったことが、犠牲者の数に影響を及ぼした側面があります。
もし、あれが、あと数時間遅く起きていたら、犠牲者の数は何倍にも膨れ上がっていたことでしょう(高速道路や鉄道だけでも、計り知れない犠牲者を生む結果となったのではないでしょうか)。
今回の場合、“津波”という災害を思えば、深夜に発生していれば、もっと逃げ遅れる人が増えていたかもしれず、そういった意味では、昼間の発生は不幸中の幸いだったかもしれませんが、一方で、昼間の発生により家族がバラバラになってしまう悲劇を多く生んでしまいました。
早朝の発生だった“阪神”の場合、ほとんどの人が家にいる時間帯だったため、家族の居場所がわからないといったケースは今回ほど多くはなかったと思いますが、昼間の発生だった今回は、お父さんは会社、お母さんは自宅、子供たちは学校と、それぞれ別々の場所で震災に遭い、その後、安否もわからず、生きているにしても何処に避難しているかもわからないという、不安な避難生活を強いられた被災者を多く生んでしまいました。
生きているならば、一刻も早く家族と会いたい・・・おそらく、眠れない夜を過していることだと思います。

いろんな意味で、“阪神”を超えたといっていい、今回の東北地方太平洋沖地震。
私たち神戸市民は、16年前、多くの救援物資義援金、そしてボランティアの方々に助けられた“恩”があります。
喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう、愚かな人間の私ですが、受けた“恩”まで忘れてはいません。
現地に赴いてボランティア活動を出来るほどの甲斐性はありませんが、これから被災者の方々に、何が出来るか、どうすればいいか、微力ながら考えていきたいと思います。
とにかく今は、一人でも多くの生命が救われることを祈ります。


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下記、記事本文引用
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安否不明は数万人規模 宮城県は犠牲者「万単位」
 東日本大震災の津波で水没するなど壊滅的な被害を受けた市町村で、連絡が取れず安否不明の住民が数万人に上っていることが13日、岩手、宮城両県などへの取材で分かった。被害は深刻さを増し、各県や県警本部が全容の把握を急いでいる。警察が確認した死者・行方不明者は3200人を超え、宮城県警の竹内直人本部長は県内だけでも死者が「万人単位に及ぶことは間違いない」と述べた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110313-00000086-mai-soci

by sakanoueno-kumo | 2011-03-14 02:05 | 時事問題 | Trackback(2) | Comments(0)  

東北地方太平洋沖地震発生。

本日午後2時46分、三陸沖を震源地とする、マグニチュード8.8巨大地震が発生しました。宮城県で『震度7』の非常に激しい揺れを観測したほか、福島県では7メートルを超える大津波が観測されるなど、東北から関東にかけての広い範囲で津波や火災が発生しているようです。 
地震の規模を示すマグニチュード8.8は、地震の観測が始まった明治以降、国内では最大だそうです。揺れの強さを示す『震度7』というのも、過去、1995年の阪神・淡路大震災で記録された1回のみで、今回の地震の大きさが伺えます。

私はその阪神・淡路大震災を経験した神戸市民です。
今日の地震は、遠く離れた神戸でも揺れを感じたほどですから、大変な規模だということがわかります。
本当は今日、全く違う話題を起稿しようと思っていたのですが、とてもそんな気になれず、ただただテレビの地震報道を観ています。
私たち神戸市民にとって、地震報道は無関心ではいられません。
報道を見ながら、16年前の恐怖が蘇りました。
テレビは、どのチャンネルも地震に関する情報を伝えていますが、現段階では、災害の全容がはっきりしないようで、情報が混乱しているようです。
しかし、究極の被災地にいる方々は、もっと情報が伝わらず、不安なときを過ごしていることだと思います。
16年前の私たちも、テレビも映らない状況の中、自分の目の前に広がる状況以外、まったく情報がなく、ただただ余震に怯えるときを過ごしていました。
日本中が同じ状況に違いないと思ったくらいです。
きっと16年前も、地震発生当日は、こうしてテレビで報じられていたのでしょうね。
震災当時、神戸市民は、被災地の真っ只中にいながら、まったく状況を把握できていませんでした。
おそらく他の地域に住む方々のほうが、被害の状況など詳しく理解していたと思います。
今もきっと被災地の方々は、そんな状況にあると想像します。

ただ、被災地の方々の恐怖は、逆に私たちには、計り知れません。
テレビの映像では、真の恐怖は伝わりませんから。
揺れの強さも、おそらくテレビで流されている映像より、はるかに強いものだったはずです。
余震が襲うたびに、生きている心地がしない・・・今夜はきっと、眠れないことでしょう。

気象庁はこの地震を、「東北地方太平洋沖地震」と名付けたそうです。
今はまだ、災害のほんの一部しか見えていませんが、被害者の数が一人でも少なくすむよう願うばかりです。

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13日、追記。
地震の規模を表すマグニチュードは、その後、8.8から9.0に修正されました。
その件については、次稿の『東北地方太平洋沖地震の深刻さを、改めて思う3日目の夜。』で、改めて起稿いたしましたので、そちらをご覧ください。


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下記、記事本文引用
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死者数百人、不明多数 仙台で200人超の遺体

 東北・関東大地震による死者は11日、数百人に上ることが確実になった。行方不明者も多数に上っている。宮城県警によると、仙台市若林区で200〜300人の遺体が見つかった。若林区役所によると、区内の津波警戒地域内にある約1200世帯が、ほぼすべて津波被害に遭ったとみられる。福島県では336人が行方不明。岩手県大船渡市内で中学生23人を含む48人が津波で行方不明となった。岩手県山田町で多数の死者が出ている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110311-00000164-jij-soci

by sakanoueno-kumo | 2011-03-11 23:55 | 時事問題 | Trackback(2) | Comments(14)