「幕末」と呼ばれる時代はいつからいつまでを言うのか、という話題になったとき、その始まりは「黒船来航」からという意見で概ね一致しますが、その終わりとなると、ある人は「王政復古の大号令」だといい、別の人は「戊辰戦争の終結」だといい、いやいや「廃藩置県」だろうという人もいれば、「西南戦争の終結」まで幕末は続いていたという人もいて、なかなか解釈が定まりません。
わたしの個人的意見を述べさせてもらうと、「幕末」の「幕」を「幕府」の「幕」と解釈すれば、幕府政権の終わり、すなわち大政奉還から王政復古の大号令にかけてとなるのでしょうが、古い時代の「幕引き」、新しい時代の「幕開け」という意味での「幕」と考えれば、わたしは侍の時代にピリオドが打たれた西南戦争の終結までが幕末ではなかったかと思います。で、その幕末の最初から最後まで登場するのが、今年の大河ドラマ『西郷どん』の主人公である西郷隆盛です。
たとえば、幕末の志士のなかで人気ナンバーワンの坂本龍馬を主人公にした場合、物語は大政奉還で終わってしまいます。司馬遼太郎さんはその大政奉還を大きなクライマックスに見立てて、あの名作『竜馬がゆく』を生み出しましたが、実際には、大政奉還は確かに大きな節目ではありましたが、維新改革の観点で言えば序章にすぎません。また、もうひとりの人気者である高杉晋作などは、さらに早く死んでしまうため、彼を主人公とする『世に棲む日日』は、これから歴史が大きく動くというところで物語が終わっちゃうので、大河ドラマにはし難いでしょう。その点、西郷隆盛の物語は、黒船来航から西南戦争まで、幕末の始めから終わりまですべて描ける。戦国三英傑の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を比べたとき、その後世の人気度でいえば1信長、2秀吉、3家康という順番になるかと思いますが、物語にすると、家康ものが俄然面白い。というのは、桶狭間の戦いから大坂夏の陣まですべて描けるからに他なりません。その論でいえば、幕末はやはり西郷なんですね。

で、そんなミスター幕末・西郷隆盛を主人公にした大河ドラマは、30年前の『翔ぶが如く』以来、2度目の作品となります。わたしは、『翔ぶが如く』はわたしの知る限り3本の指に入るほどの名作だったと思っているので、どうしても、それとの対比になっちゃうのですが、今年の大河ドラマ『西郷どん』は、わたしにとってどうだったかといえば、正直に言って名作とはいえない残念な作品となりました。同じ西郷を主人公とした伝記ドラマであるはずの『翔ぶが如く』と『西郷どん』は、似て非なるものだったと言わざるを得ません。
その理由はいくつも挙げられますが、いちばんの理由は、取捨選択のマズさと創作の稚拙さでしょう。西郷の志士としての生涯は長く、しかも濃い。それ故に史実に縛られること大で、また、伝承レベルの逸話も数多くあることから、それをすべて描こうとすれば、47話ではとても足りない。だから、割愛しなければならないのは仕方がないことですが、その取捨選択があまりにも下手で、理解しがたいものでした。少しでも歴史を知っている人であれば、きっと、何でここをスルーしちゃうんだ?と思ったことは一度や二度ではなかったのではないでしょうか? それが最も顕著に表れているのが、時系列の構成。全47話中、戊辰戦争までの幕末期が38話あったのに対し、維新後の明治期はたった9話。当然ですが、明治期のひとつひとつの歴史的出来事の描き方は粗雑となり、無理やり短縮したり解釈を変えることによって、とても歴史ドラマといえるものではなくなってしまいました。ちなみに、先述した『翔ぶが如く』では、幕末編が29話で、明治編が19話でした。これでも、もっと明治期を描いてほしかったと思ったほどでしたから、このたびの9話というのが、いかに短縮されていたかがわかるかと思います。
では、その分、幕末期の話が充実していたかといえば、決してそうとは言えず、逆に無駄な話が多かった。それをいくつか挙げていくと、まず、島津斉彬の死までが長かった。たしかに、斉彬は西郷の生涯にとって欠かせない重要な登場人物ですが、西郷と共に過ごした時間は短く、西郷の志士としての長い生涯においては、序章に過ぎません。しかし、今回のドラマでは、斉彬の死までに実に16話も費やしています。しかも、たいして面白くもない創作話をたくさん盛り込んで。明らかにここは無駄だったでしょう。あるいは、斉彬役に超ビッグなハリウッドスターをキャスティングしたため、早く死んでもらうわけにはいかなかったのでしょうか? だとすれば、本末転倒な話ですね。民放の月9ドラマだったら、俳優さんありきで物語が構成される場合も多々あるでしょうが、歴史ドラマにおける俳優さんはあくまで影武者であって、重点をおくべきは、歴史上の人物です。
それから、篤姫とのラブコメ話もいらなかった。篤姫と西郷の関係は、篤姫の輿入れ時に、その輿入れ道具の調達を任された、ただそれだけの関係です。フィクションがダメだと言ってるわけではありません。ドラマが100話あるんだったら、そういう遊びの回があってもよかったでしょうが、限られた尺のなかで、大事な歴史のエピソードを削ってまでも描かなければならなかったとはとても思えません。それと、ヒー様との意味不明な友情話も不要。あれ、何が描きたかったのか、わけがわかりません。あと、西郷と何ら関わりがなかったであろうジョン万次郎の話もいらなかったですし、それから、坂本龍馬の出番も多すぎた。わたしは、スマホの待受画面を坂本龍馬にするほどの龍馬ファンですが、だからといって、何でもかんでも龍馬人気に肖ろうとする傾向は好きではありません。坂本龍馬の人生にとっては西郷との出会いは重要な出来事だったかもしれませんが、西郷の人生にとっては、坂本龍馬はそれほど重要な人物ではありません。薩長同盟のくだりで少し登場すればいい程度の存在です。龍馬とのエピソードを描くくらいなら、西郷に大きな影響を与えた橋本左内や藤田東湖(今回のドラマには登場すらしなかった)との関係を、もっと描くべきだったんじゃないでしょうか? これらの無駄な回をなくすだけでも、ずいぶん幕末編を短縮できたでしょうし、その分、明治編をもっと丁寧に描けたように思います。
それから、人物の描き方についてですが、開明派が賢者で、保守派が愚者という解釈も、相変わらず短絡的すぎるような気がします。例えば島津久光などは保守派の代表のような人物ですが、決して愚人というわけではなく、あと半世紀ほど早く生まれていれば、名君として後世に名を残していたかもしれません。一方で、島津斉彬や勝海舟といった開明派は、時代が違えば、奇人変人扱いだったかもしれず、実際に斉彬も勝も、当時の社会のなかでは、敵が多く理解者は少ない存在でした。特に斉彬は、西郷というフィルターを通してみれば名君だったでしょうが、そのあまりにも革新的な考えを実行するために、振り回され、翻弄され、酷使されて使い捨てられた家臣もたくさんいました。斉彬と久光、どちらが薩摩藩にとって名君だったかは、一概には言えないんです。ドラマですから、ある程度分かりやすくするために善悪で描かれるのは仕方ないにしても、賢愚で描くのは、そろそろ見直してほしいと思います。
で、西郷の人物像についてですが、彼の場合、これまで多くの物語などで描かれてきた西郷がそうであったように、結局はつかみどころがない。開明的なのか保守的なのか、賢人なのか愚人なのか、革命家なのか政治家なのか軍人なのか、西郷の言動や行動をいくら検証しても、ついぞ見えてこないんですよね。ある人は、西郷は自身が起こした革命を自らの死によって完成させたといい、またある人は、もう一度革命を起こして維新をやり直そうとしていたといい、また別の人は、自らの役目を終えたあとの死に場所を探して彷徨っていたと説きますが、どれも、そうともとれるし、でも腑に落ちません。司馬遼太郎さんは維新前の西郷と維新後の西郷とを、まるで別人と評しているのに対し、海音寺潮五郎さんは、維新前と維新後でまるで人が変ってしまうことなどあろうはずがないといっています。かつて司馬さんが執筆した『翔ぶが如く』を読んだ海音寺さんが、「司馬君でもまだ西郷を描ききれていない。」と評したという話がありますが、それほど、西郷という人物は、計り知れない人なんですね。
そんな評価の難しい西郷ですが、素人のわたしなりに思う西郷像は、パートナーがあってこその西郷だったんじゃないかと思っています。つまり、西郷は維新第一の英雄となりましたが、自身の強烈な指導力で牽引するヒトラーのようなカリスマ革命家ではなく、誰かにサポートされて、もっといえば、誰かに操られて、その事績を成し得た珍しいタイプの革命家だったといえます。その西郷を操っていたのが、若き日は斉彬であり、革命期は大久保利通だったんじゃないかと。「操っていた」というと聞こえが悪いですが、決して彼らが西郷を見下していたというわけではなく、斉彬や大久保にはない人間的魅力を西郷は持っていて、その西郷の人間力を大久保たちは利用し、また、助けられてもいた。そんなギブアンドテイクの関係が成立していて、英雄・西郷隆盛が作られていったのではないかと思います。実際、斉彬は若き日の西郷を評して、「西郷を使いこなせるのは自分だけだ」と言っていたといいますし、斉彬亡きあと、ともすれば暴走しかねない西郷の手綱をさばいていたのは、大久保でした。西郷は西郷ひとりの力で西郷となったわけではなく、斉彬、大久保がいてこその西郷だったのではないかと。
ところが、征韓論政変以降、西郷をいい意味で操る人間がいなくなり、西郷が身を預けたのが、桐野利秋や別府晋介といった若いぼっけもんたちだった。彼らに西郷を操れるだけの能力はなく、神輿に担ぎあげるのが精一杯だった。これが、西郷の不幸だったといえるでしょう。ひるがえって考えれば、結局、西郷はその人生において自らの意思で能動的に行動したことは一度もなく、斉彬に使われ、大久保に操られ、最後はぼっけもんたちに担がれるという傀儡の生涯だったんじゃないかと。ちょっと西郷ファンには申し訳ないですが。
今回のドラマの西郷は、これまでにないエネルギッシュな西郷でしたね。それはそれで悪くはなかったと思いますが、残念ながら西郷の生きた歴史、西郷が行った功績がほとんど描かれていなかったため、ただエネルギッシュな良い人、というだけでした。歴史上の英雄というのは、善きにせよ悪しきにせよ清濁併せ呑む人物だったからこそ英雄たり得たわけで、そこが偉人たちの魅力でもあります。そんな歴史上の英雄のなかでは、珍しく西郷は道義を重んじる人格者ではありましたが、西郷とて決して聖人君子ではありません。だから、ドラマ内の「皆が腹いっぱい食える世の中にしたい」というあの台詞を聞くたび、興ざめしていました。そんな、世のため人のために生きてませんよ、人は皆。西郷は道義主義者でしたが、彼の道義はあくまで当時の武士階級の道徳であり、士族至上主義でした。幕末期の西郷は薩摩藩の立場を守るために活動し、明治期の西郷は、薩摩士族のために働いた。ひいては、それが自身のためでもあったんです。決して、世のため人のためといった綺麗事で幕府を倒したわけではありません。自分たちのためです。民百姓のことなんて、眼中になかったと思いますよ。
それらの人物像や歴史解釈、フィクション部分を見ても、どうにも稚拙な描き方に思えてならない今年の大河ドラマでした。勘違いしないでほしいのは、わたしは、フィクションがダメだと言っているわけではありません。でも、全47話という限られた尺のなかで構成するわけですから、そこは、センスが問われるところだと思います。歴史ドラマといえどもエンターテイメントですから、フィクションは不可欠だと思いますし、そこには独自解釈があってもいいでしょう。ですが、歴史ドラマにおけるフィクションは、作り手の知識に裏付けされたセンスが必要だと思います。本作品の原作の林真理子さんと脚本の中園ミホさんに、どれほどの知識の裏付けがあるのかは知りませんが、想像するに、幕末維新の歴史も、西郷隆盛という人物のこともあまり知らずに、執筆依頼があってからにわか知識を放り込み、その程度の知識で作品を書かれたんじゃないでしょうか。
何年か前に、NHK-BSの『英雄たちの選択』で西郷隆盛が採り上げられたとき、パネラーで林真理子さんが出演されておられましたが、そのとき、林さんはあまり西郷のことを知っておられない様子でした。たぶん、あのとき既に大河作品の執筆依頼があって、にわか勉強中だったのでしょうね。ただ、残念ながら、にわか知識で書けるほど、西郷隆盛の生涯は単純じゃないです。どれだけ売れっ子の作家さんであっても、歴史ドラマは、歴史に精通していなければ書けないと思いますし、書くべきではないとわたしは思います。歴史の知識が浅い人が歴史ドラマを書くと、フィクションも的外れでトンチンカンなものになります。ピカソは、写実画を極めた上であの画風に行き着いたのです。デッサン力のない者が抽象画を書いても、ただの下手な絵でしかありません。歴史をしっかりと勉強した人にしかフィクションの歴史は書けないのではないでしょうか。
というのも、ここ近年、やたらと女性の脚本家さんの作品が続きますよね。女性が主人公の作品だけならまだしも、それ以外も、2008年の『篤姫』以降の11作品中、8作品が女性の脚本家さんです。これ、どういうことでしょう? 女性がダメだとは言いませんが、この比率は明らかに偏っています。ここからはわたしの想像ですが、偏見かもしれませんが、男性の脚本家さんは、大河ドラマの脚本の難しさがわかるから、歴史にそれほど精通していない人は、オファーがあっても容易に引き受けないんじゃないかと。ところが女性の脚本家さんは、その難しさを考えず、にわか知識だけで安直にオファーを引き受けちゃうんじゃないかと。わたしの勝手な想像ですが、11作品中、8作品が女性というのは、どう見ても普通じゃないですよね。その背景には、そんな事情が隠されているように思えてなりません。それが、近年の大河の質の低下を引き起こしている原因じゃないかと。だとすれば、幕末維新じゃないけど、大河ドラマも根本的な改革が必要な時期に来ているのかもしれません。
いささか辛口な批判ばかり述べてきましたが、最後に、鈴木亮平さんの西郷隆盛は良かったと思います。ここだけで言えば、『翔ぶが如く』の西田敏行さんより良かったかも。西田さんも良かったのですが、いかんせん背丈が・・・。その点、鈴木隆盛は申し分ない体躯と存在感でしたし、もちろん演技も、特に後半は本物の西郷もこんな感じだったんじゃないかと思えてくる程でした。それだけに残念、というしかありません。
気がつけば、ずいぶん長文になってしまいました。厳しい意見ばかり吐いてきましたが、毎週面白いと思って観ておられた方には申し分ありません。それだけ今年の大河ドラマには期待していたということで、ご容赦ください。それでは、このあたりで『西郷どん』のレビューを終えたいと思います。毎週のぞきにきていただいた方々、時折訪ねてきてくれた方々、コメントをくださった方々、本稿で初めてアクセスいただいた方々、どなたさまも本当にありがとうございました。
●1年間の主要参考書籍
『西郷隆盛』 家近良樹
『大久保利通と明治維新』 佐々木克
『西郷内閣』 早瀬利之
『西郷隆盛101の謎』 幕末維新を愛する会
『幕末史』 半藤一利
『もう一つの幕末史』 半藤一利
『西郷と大久保二人に愛された男 村田新八』 桐野作人・則村一・卯月かいな
『翔ぶが如く』 司馬遼太郎
『歳月』司馬遼太郎
『西郷隆盛』 海音寺潮五郎
『西郷と大久保』 海音寺潮五郎
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▲ by sakanoueno-kumo | 2018-12-21 00:07 | 西郷どん | Trackback | Comments(6)