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幕末京都逍遥 その103 「新徳寺(清河八郎演説の地)」

前稿で紹介した壬生寺の東側の坊城通りを挟んですぐ向かいに、新徳寺というお寺があります。

ここは、は新選組にまつわる最初の大舞台となった場所です。


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新選組誕生の発端は、文久2年(1862年)に庄内藩郷士・清河八郎の献策を幕府が受け入れ、第14代将軍・徳川家茂の上洛の警護の名目で浪士を募集したことに始まります。

集まった230名余りの浪士たちは、翌文久3年(1863年)春、「浪士組」として将軍上洛に先がけて西上します。

しかし、これは清川が画策した謀略でした。

藩の後ろ盾を持たない清川は、幕府を出し抜いて、幕府の名で浪士を集め、これを天皇配下の兵力にして討幕勢力を作ろうとしたのです。

すごいことを考えたものです。


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浪士組が京に入ると、清川は230名余りの浪士たちを集め、熱弁をふるいます。

いわく、「われわれの上洛の真の目的は将軍警護にあらず、尊王攘夷の先鋒にある!」と。

清河の熱弁にうたれた200名はこれに賛同、翌日、清河は朝廷に建白書を提出することに成功します。

おそらく、清川には集団を扇動するカリスマ性があったのでしょうね。

その大演説の舞台となったのが、ここ新徳寺でした。


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しかし、少数ながら清川の扇動に異を唱えた者たちがいました。

それが、近藤勇・土方歳三・沖田総司・山南敬助・井上源三郎・永倉新八・原田左之助・藤堂平助ら武蔵国の試衛館組の8人と、芹沢鴨・新見錦・平間重助・平山五郎・野口健司ら水戸藩浪士の5人、計13名でした(17名説、24名説もあり)。

清川ら在京浪士組は在京20日余りで再び江戸に戻ることになりますが、近藤、芹沢ら13名は、あくまでも将軍警護のための京都残留を主張。

これが、やがて新選組へと発展していくんですね。

その歴史のターニングポイントとなった場所が、ここ新徳寺でした。


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残念ながら新徳禅寺は一般公開されていませんが、境内はほぼ当時のままだと言われています。

このお堂が、清川の大演説のステージだったのでしょうか?

いろいろ想像が掻き立てられます。




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幕末京都逍遥


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by sakanoueno-kumo | 2018-07-28 08:49 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

八重の桜 第8話「ままならぬ思い」 〜新選組登場〜

 勤王佐幕の渦巻く幕末史のなかで、佐幕派の象徴ともいえる新選組が登場しましたね。会津藩を中心とするこの物語では、なおさら新選組を無視することはできません。ところで、この新選組についてですが、「新選組」と書くか、「新撰組」と書くかについて一定していません。どうも、幕末においても両方の文字が使われていて、どちらが正しいとはいえないようです。そこで、当ブログではNHKの公式HPにしたがって「選」を使用することにします。

 いまさら新選組について説明するまでもないかもしれませんが、今週は特筆することが他にないので新選組結成の経緯について簡単にふれます。新選組の前進は、江戸で結成された浪士組。文久2年(1862年)頃、京都で尊攘浪士が気勢をあげたように、江戸でもまた尊攘浪士と称する者たちが集まり、あるいは尊攘に名を借りて悪事を行う輩もあったりで、幕府はこの統制に苦しんでいました。そんな折、出羽国庄内出身の尊攘志士・清河八郎が、浪士を集めて俸禄を与え、幕府のために働かせる案をもって幕臣を説きます。浪士統制に苦しんでいた幕閣はこの案を採用し、第14代将軍・徳川家茂の上洛に際して、将軍警護の名目で浪士を集めます。

 幕府は、この浪士組によって京都の尊攘派を牽制させようと考えます。文久3年(1863年)3月、集まった約200人の浪士組は京都に入り、洛西壬生村に宿営しました。ところが京都に入るやいなや、隊の発起人である清河八郎が同地の尊攘派と提携し、幕府の意図とは逆に、反幕的行動をとろうとします。もともと清川は、一時は幕府の捕吏に追われるほどのガチガチの尊攘派であり、この行動は清川の計画どおりでした。幕府の名を借りて反幕組織を作ろうとした清川でしたが、そんな浪士組の動静に不安を抱いた幕府は、清川ら浪士組を江戸へ呼び戻します。その後も清川は浪士組を動かそうとしますが、彼のスタンドプレイは各方面に敵を作ることとなり、文久3年(1863年)4月13日、幕府の刺客によって暗殺されます。

 まさしく「策士策におぼれる」を絵に描いたような清川でしたが、彼の奇策によって、彼の意とは反した奇妙な団体を生むことになりました。浪士組上洛の折、清川と意見を異にした24人の浪士たちが京都に残留し、「壬生浪士組」(誠忠浪士組ともいう)と称する組織を結成します。これが、のちに新選組となっていくんですね。やがて彼らは会津藩主で京都守護職松平容保の配下となり、主に不逞浪士の取り締まりと市中警護を任されます。そして、おそらくドラマでは次週描かれるであろう「八月十八日の政変」以降、新選組は歴史の表舞台に登場することになります。

 通常、新選組といえば近藤勇土方歳三沖田総司らがクローズアップされますが、おそらくこの物語でスポットが当たるのは斎藤一でしょう。斎藤一は「新選組屈指の剣客」といわれる人物ですが、明治維新後、会津藩と深く関わりを持つことになる人物です。ネタバレになりますが、ドラマでは八重の幼馴染という設定の高木時尾と結ばれることになるんですね(もっとも、斎藤にとって時尾との結婚は再婚でしたが)。そのとき上仲人を務めたのが松平容保だったと言います。一国のお殿様一介の浪人上りの剣客の仲人を引き受けるなど、明治の世に変わっていたとはいえ、考えられないことだったでしょうね。「一生嫁に行かない」と言っていた時尾でしたが、そんな幸せな未来が待っています。

 ところで、斎藤一役の降谷建志さんは、ドラゴンアッシュのボーカルで古谷一行さんの息子さんだそうですね。今日聞くまでまったく知らなかった私はオジサンでしょうか? ちなみに古谷一行さんといえば、私が子供の頃見たドラマで(大河ドラマではなかったと思いますが)、土方歳三役を演じておられたのを覚えています。同じ斎藤役だったら面白かったのにね~・・・って、ドラマとはあまり関連性のない今話のレビューでした。


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by sakanoueno-kumo | 2013-02-25 22:44 | 八重の桜 | Trackback(2) | Comments(6)