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八重の桜 第26話「八重、決戦のとき」その1 ~白虎隊の悲劇~

 白虎隊士中二番隊が出陣した慶応4年(1868年)8月22日の夜から、鶴ヶ城下は雨が降り始めました。台風の影響だったといいます。急な出陣だったため雨具も食糧も持っていなかった白虎隊士たちにとっては、最悪の出陣でした。彼らは激しい雨のなか滝沢峠を越え、強清水を経て、午後5時に戸ノ口原に到着します。夜になって雨はさらに激しさを増し、そんなハードな条件のなか、少年たちは寒さに震えながら野営することとなります。

 通説では、この夜、隊を率いていた隊長の日向内記が、食糧を調達してくるといって陣地を離れたといいます。しかし、激しい雨のせいか、すぐもどると言って隊を離れた日向が戻らず、そのまま夜が明けます。夜明けとともに新政府軍は砲撃を開始。やむなく若い篠田儀三郎が代わって指揮をとりますが、如何せん戦闘経験のない少年たちで、しかも彼らの持っていた銃は旧式のしかも中古品で、撃つと銃身がすぐ熱くなり、とても使える代物ではなかったといいます。隊長とはぐれパニック状態となっていた彼らは、戦闘が始まるやいなやバラバラになってしまいます。当然のことだったでしょうね。

 やむなく篠田は残った隊士を率いて退却することを決断します。いつしか隊士は20人に減っていました。そのなかに、八重がゲベール銃の操作を教えたという伊東悌次郎もいました。彼らは、滝沢峠が占領されたため、間道を経て城下が一望できる飯盛山に向かいます。その頃、新政府軍は一気に城下に攻め入っており、しかも各所に火を放ちながら突入したため、城下は火の海になっていました。飯盛山に登った白虎隊士たちは、そんな城下を目の当たりにします。砲声が響き渡るなか砲煙が天を覆う光景を見た彼らは、鶴ヶ城も落城し、君公も難に遭ったと早合点したといいます。ドラマでは、お城はまだ燃えていないことに気づきながら、それでも、自分たちの退路が絶たれたと判断し、自決の道を選ぶ設定になっていましたね。実際はどうだったのかわかりませんが、いずれにせよ、空腹恐怖疲労で、正常な判断力を失っていたのかもしれません。生き恥を晒すより城と運命を共にしようと考えた彼らは、城に向かってひざまずき、あるものは腹を切り、またある者たちは互いに刺し違えて自刃しました。ひとり、飯沼貞吉のみが生き残り、白虎隊の悲劇を後世に伝えることとなります。

 「人を愛して我が身を愛さず、あるいは君を諌め、あるいは国家の大事をはかり、たとえ、その事なしおおせがたく、たちまち危険身に迫るとも、死をかえりみず、身を殺して、仁をなさん事を思うべし。生をむさぼり来りて、なすべき義に当たっても、身を愛し、家を願いて、その事をなさざるは、不忠不孝のいたりなり。」

 会津藩校日新館にて教えられていた会津武士の精神だそうです。白虎隊の少年たちも当然、この言葉を唱和しながら育ちました。我が身を犠牲にしてでも、人のため、国のために尽くせ・・・。そんな没我奉仕の精神を、純粋な少年たちは忠実に守って死んでいったわけです。世が「明治」と改まるわずか16日前の、あまりにも若すぎる死でした。白虎隊の悲劇は、後世に戦争の虚しさと教育のあり方を伝えてくれます。

 長くなりそうなので、明日に続きます。


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by sakanoueno-kumo | 2013-07-01 22:49 | 八重の桜 | Trackback(2) | Comments(0)