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太平記を歩く。 その163 「四条畷神社」 大阪府四條畷市

大阪府四條畷市にある「四條畷神社」にやってきました。

ここは、楠木正成の嫡男・楠木正行を主祭神とする神社です。


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正平2年/貞和3年(1347年)9月から11月にかけて、南朝方・楠木正行軍に摂津国天王寺・住吉浜にて大敗を喫した北朝方は、翌年1月に高師直を大将とする大軍を編成して、本格的な南朝攻撃を開始します。

そして1月5日、両軍が激突したのが、河内国北條(大阪府四條畷市・大東市)でした。

後世にいう「四条畷の戦い」です。


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結果は、圧倒的な兵力の足利軍が圧勝します。

『太平記』では、楠木軍が少数の兵で突撃し、あと一歩で師直の首を取るところまで迫ったと伝えていますが、実際には兵力の差は歴然で、楠木軍の惨敗だったようです。

正行は弟の正時刺し違えて自決しました。


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ここを訪れたのは12月3日でしたが、かろうじて紅葉が残っていました。


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神社の歴史は比較的新しく、社殿が完成して御鎮座祭が執り行われたのは、明治23年(1890年)だそうです。

明治期になると明治政府によって南朝が正統とされ、正行の父である楠木正成「大楠公」として神格化されると、その父の遺志を継いで南朝のために戦い命を落とした嫡男の正行も、「小楠公」と呼ばれ崇められるようになりました。

そして、討死したと伝わるここ四條畷の地に、正行を祀る神社ができたわけです。


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全国にある「建武中興十五社」の一社でもあり、元別格官幣社でもあります。

「別格官幣社」とは、国家のために功労のあった人臣を祭神とする神社のことで、明治5年(1872年) に父の正成を祀る神戸の湊川神社が定められたのに始まり、昭和21年(1946年)に社格が廃止されるまで、日本全国に28社ありました。


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社殿の横に目をやると、見憶えのある2体の石像が。


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そう、「その87」で紹介した櫻井驛跡や、「その144」で紹介した吉野山如意輪寺にあった、楠木正成・正行父子の桜井の別れ像です。


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題して、「紅葉と楠木父子」(笑)。


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拝殿の横には、正成の妻であり正行公の母である久子を祀った御妣(みおや)神社があります。


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その側には、久子・正行母子の石像が。


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『太平記』巻16「正成首送故郷事」によると、「湊川の戦い」で自刃した父・正成の首が送られてきたとき、それを見た11歳の正行はショックを受けて自害しようとしますが、久子がこれを叱責し、父の遺志を継いで忠臣となるよう諭したといいます。


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叱られているのに笑ってます(笑)。


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父の正成は江戸時代から英雄視されていましたが、父子ともに神格化されたのは明治に入ってから。

多分に政治的意図が含まれた神といえます。

人神とは、そういうものなんでしょうけど。




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by sakanoueno-kumo | 2017-12-08 00:50 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(2)  

太平記を歩く。 その159 「景徳山安国寺」 京都府綾部市

足利尊氏生誕地と伝わる京都府綾部市を訪れました。

足利氏といえば、栃木県の足利荘を思い浮かべるのですが、実は、尊氏が生まれたのは母・清子の実家、上杉氏の本貫地である丹波国何鹿郡八田郷上杉荘だったそうです。

700年前にも、里帰り出産があったんですね。


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その生誕地にある安国寺に、尊氏と母の清子、そして妻の登子供養塔があると知り、車で約2時間かけて遠路はるばる訪れました。


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寺に入口には、「足利尊氏公誕生の地」と刻まれた石碑があります。


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紅葉の名所だと聞いていたので、その季節を狙って11月20日に訪れたのですが、あいにくので、残念ながら暗い写真ばかり。


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全国各地に「安国寺」という名称の寺がありますが、その多くは、尊氏の時代に建立および改修・改名されたものです。

延元3年/暦応元年(1338年)、征夷大将軍となって室町幕府を開いた尊氏は、禅僧・夢窓疎石の勧めで前稿で紹介した天龍寺の建立を始めるとともに、元弘の乱以降の戦死者を弔うため、国ごとに1寺1塔を建てる計画を立てます。

このときの寺を「安国寺」、塔を「利生塔」と称しました。

山城国の安国寺には、あの一休宗純(一休さん)がいたことで有名ですね。


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山門の扉には、足利氏の二つ引の紋章が。


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安国寺と利生塔は新しく造営されたものもありましたが、既存の寺院を修理してこれにあてた国もありました。

ここ綾部市の安国寺は、もとは清子の実家・上杉氏の菩提寺・光福寺としてあったものを、尊氏が丹波国の安国寺と定め、諸国安国寺の筆頭におきます。

自身の生誕地ということもあったでしょうが、母を敬う尊氏の思いが込められていたのでしょうね。


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雨じゃなければ、きれいな写真だったでしょうけどね。


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茅葺の仏殿は寛保3年(1743年)に再建されたものだそうです、。


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ここにも二つ引が。


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そして、こちらが境内奥にある、尊氏・清子・登子の供養塔と伝わる宝篋印塔です。

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向かって左から、清子、尊氏、登子の供養塔と伝わります。


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説明板です。

『安国寺文書』によると、二代将軍・足利義詮によって尊氏と登子の遺骨が安国寺に奉納されたと記されているそうで、南北朝時代のものとさせるこの宝篋印塔が、その墓碑だと考えられているそうです。

でも、だったら、清子の墓っていう伝承は、なんの根拠なんでしょうね?


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あいにくの雨でしたが、せっかく綾部市まで来たので、次稿、もう一回綾部市をやります。




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by sakanoueno-kumo | 2017-12-01 00:11 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(2)